機械計算室の歴史<4>(機械計算室の設置)

「経営機械化」部門が所掌したIBM計算機からTOSBACの導入により時代の著しい変遷に対応し、コンピュータを取扱う教官、技官を含めて研究所の教官の利用も急激に増加したため、所内措置として独立のセクションを設置することが検討された。
その結果、昭和46年、教授会において研究所の機械計算室として新しい機構が発足し、ここに教官、技官を集中的に配置することとなった。この機械計算室の設置の前後の状況を、計算機の発展に関連づけてみることにする。

(1)PCSからEDPSへ

東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)は、ハードウェアとしてICを用い又本格的オペレーティング・システム(OS)を備えた、IBM360・RCA-SPECtrA70・Honeywell-200・GE60等の高性能電子計算機組織が第3世代機の名のもとに競って発表され、情報処理分野はそれを契機として大きく変貌していった時代である。もはやPCSのパネル(指令を与える配線盤)に向かって特殊ペンチを用いて配線による計算等の指令を与える時代ではなくなり本研究所でも電子計算機への対応を研究者から迫られていた時期でもあった。
又、本研究所に経営分析文献センターが設置(昭39年)される以前からPCSを用いて研究開発がすすめられてきた文献情報の機械化システムを一層進展させるためには電子計算機組織が不可欠であった。昭和39年経営分析文献センターが経済経営研究所の附属研究施設として発足し、同センターの設備拡充のための予算化が認められた昭和40年度にTOSBAC-4231型コンピュータ(昭和36年発表)が1部無償貸与の形で導入された。同コンピュータは、当時カナ文字を処理できる唯一のコンピュータとして国産機では人気のあった機種である。

導入当初の機器構成は;

  • 演算制御装置(4000桁)
  • 紙テープ読取装置(400桁/秒)
  • ラインプリンター装置(130字/行、200行/分)
  • 磁気テープ装置(4字/mm、6000字/秒) 4台
  • 紙テープ穿孔タイプライター装置(オフライン機器)

であり、昭和43年3月主記憶装置が10,000桁に増設されている。

ソフトウェアではTAPというアセンブラーが提供され使い易いものであったが、アセンブラーはミクロな機能を特徴とする言語であるので、問題のプログラミングはスペシャリストに依存する方式、謂ゆるクローズド・ショップで運営された。

同電子計算機システムの利用目的は、大別して2つに分けられる。

1つは、経営分析文献センターでとり組まれていた、文献情報処理システムの開発のための利用である。それは又、いくつかの個別的な領域でのとり組みと、それらを総合したシステムも試みられた。それらのうち主要なものを挙げると;

(ア) 経営学二次資料の特性、
(イ) 会計学用語の計量的研究、
(ウ) 経営学・会計学シソーラスの作成、
(エ) 文献情報処理システム(brPS)の開発

等で、経営分析文献センターの、生島芳郎、杉村優(現図書館情報大学)、塩田幸和各氏が中心になって開発を担当した。

もう一方の利用は、研究者の個別研究及び専門委員会等共同研究のための計算処理の委託サービスである。この利用にあっては分析の対象の分野が特定されていないことによる個別プログラミングの必然性、同電子計算機が事務用として設計され、且つ事務用で販売されているために解析的問題をプログラミングすることの非効率性、前記の高水準言語を持たないために余儀なくされるプログラミングの低生産性、等々の困難を克服する必要があった。そのような悪環境の中で単純な連立方程式から回帰分析、常微分方程式、定差方程式、因子分析(セントロイド法)等の数値計算のライブラリの整備、クロス集計など各種の統計プログラムの開発が行われた。

これらの資産は、記述言語がいまだ汎用言語でなかったために次世代の電子計算機に受け継ぐことはできなかったが、計算論理等のノウハウを蓄積したということにおいて成果が得られた。

TOSBAC-4231型電子計算機は、昭和49年1月16日本学工学部へ管理換えされた。

(2)情報システム化時代のステップ ―統計データ・バンク研究会(仮称)の開催―

IMF編集の機関誌「IFS」の表紙裏面には、かなり古くからIMF編集の国際資金関係統計データ(IFS)、国際収支データ(BOP)、貿易マトリックス(DOT)の磁気テープによる提供サービスの案内がされている。この記事が契機になったと記憶しているが、米花稔教授が中心になり、非公式ながら統計データのシステム化に関する研究会が開催されている。

第1回は、昭和46年9月20日、米花研究室において、その問題に関心のある者数名が集って今後の方針などについて討論が行われている。
第2回目の研究会は、同年10月6日で、出席した研究者自身が統計データのシステム化の必要性を強く持たれていたようで、討議も急進展したことが当時のメモで読みとられる。研究会は、第3回が同年10月27日、第4回が同年12月1日、第5回が同年12月9日にそれぞれ開催され、それ以後の活動は科学研究費による活動等が受け継がれている。

当経済経営研究所の統計データのシステム化へのとり組みは我が国では先駆をなすものであり、この研究会の開催は明記しておかなければならない。

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