近世経済データベース

近世経済データベースについて

本データベースは、神戸大学経済経営研究所と公益財団法人三井文庫が共同で運営するものである。三井文庫が所蔵する三井家大坂両替店の記録「日記録」より、18世紀中期から明治初年にわたる、日々の米価、金銭比価、そして天候を採録するとともに、近世日本経済に影響を与えたであろう経済的事象を抽出してデータベース化し、解説文を付して、国内外の研究者および一般の方々に提供する。

天明7年(1787)に発生した「天明の打ちこわし」や、それにともない誕生した松平定信政権が進めた「寛政の改革」など、経済史上の著名な事象を俎上に乗せ、事象と相場の関係をデータベース化することにより、価格のみならず、経済イベントや自然災害イベントを採録することになる。その結果、各イベントが物価に与えた影響を概観することが可能となり、相場の変動要因の理解や、前後の時代における類似の変化・事象との比較などが容易となる。

前近代経済の実態を解明する手がかりとなる稀有なデータを国内外に向けて発信する意義はもとより、近世と現代の貨幣価値の比較をする素材を提供することにもなる。とりわけ、デイリー頻度で提供されることになる米価データ、金銭比価データは、前近代経済データの中でも白眉と言え、同一通貨、同一地域で、かつ連続性のある時系列データは、前近代に限れば世界的にみても皆無であり、日本のみならず世界経済史から視点からも、非常に貴重な資料群であるといえる。そこで、「科学研究費助成事業(科学研究費補助金)(研究成果公開促進費)」の助成を受けて、「近世経済データベース」(課題番号15HP8019/16HP8018/17HP8011)を作成し、明治4年(1871)までを(2018年3月現在)対象にそのデータを公開するものである。

日記録について

三井家は、近世では呉服商と両替商を兼ねた豪商であり、「日記録」は同家大坂両替店の業務日誌である(大坂両替店については後述)。同資料は、現在は三井文庫が所蔵・管理を行っている。享保2年(1717)から明治7年(1874)までの115冊(39冊が欠本)が残されており、天気・金銭相場・為替相場・米相場のほか、歴史的事象から三井の個別的な内容の記載までバラエティーに富む。このうち、諸相場が記載されているのは、天明7年(1787)から明治4年までの66冊である。樋口(1987)によると、諸相場の書き上げが始まったのは、三井京両替店の重役手代だった深井孫七郎が、当時赤字経営だった大坂両替店の立て直しのため大坂へ勤番となった際、深井の指導によって始められたともいう。

「日記録」の記載事項の内、日付、米価、金相場、銭相場、為替景気については、『自天明七年至明治四年大阪金銀米銭并為替日々相場表』(三井家編纂室編1916、全2巻)として活字化されているが、①電子化されたデータは作られていなかったこと、②出来事に関する記載が同相場表では捨象されたこと、③採録された数字に若干ながら誤りが見られたこと(「日記録」からの転載誤記)、の3点を乗り越えたという点において、本データベースは付加価値を有している。特に③については、学術研究上、重要な意味を持つため、今後は本データベースの数字が採用されることが望ましい。

三井大坂両替店

松坂出身の三井高利に始まる三井家の事業では「越後屋」の屋号で知られる呉服業が著名であるが、金融業も長い歴史を持ち、天和~元禄期には三都で本格的に両替業に進出した。大坂両替店は高麗橋一丁目(宝永3年[1706]からは同三丁目)にあり、元禄4年(1691)、幕府公金を大坂から江戸へ為替で送る御用を前年に引き受けたことを機に出店された。この御用を基幹とする三井の両替業諸店は享保4年(1719)以来、両替店一巻とよぶ一つの事業部門を形成した。この部門はまた、諸店が三井姓を称したことから、呉服部門の越後屋(本店一巻)に対して三井両替店とも呼ばれる。大坂両替店はその大坂における支店に位置づけられ、三井次郎右衛門(高利四男高伴にはじまる名)を称し、寛政5年(1793)からは三井元之助(高利嫡孫高房にはじまる名)に改めている。

大坂には三井一族は居住しておらず、大坂両替店は本店格である京両替店の指揮・資金供給をうけ、大坂周辺出身者を中心とする叩き上げの奉公人十数名によって運営され、毎年銀500~1500貫目ほどの利益をあげていた。主な事業は、幕府の公金を融資する延為替、家屋敷を抵当とする家質貸、米切手入替、菜種・綿などを抵当とする質物貸、大名相手の屋敷貸など。融資先は主に大坂の有力な商人、とくに問屋や他の両替商が多く、中には大名の蔵屋敷もあった。三井の両替業は、幕府の御用請負によって安定的な資金供給と司法の保護を得ており、呉服業に比せば安定していたが、それでも寛政期には大坂両替店の融資の4割が滞りとなって質物貸の強化を試み、続く文化期にはその質物貸を減らし米切手入替に注力するも、文化12年(1815)の取り付け騒ぎ以降は手を引くなど、決して順風満帆ではなく、常に予断を許さないものであった。以上について、詳しくは三井文庫〔1980〕・日本経営史研究所〔1983〕・賀川〔1985〕等を参照されたい。

近世の三井は膨大な史料の伝来で知られるが、特に大坂両替店は大きな災害にもあまりあわず、「日記録」(上述)や多岐・広域にわたる情報収集の記録「聞書」(三井文庫2011)をはじめ、質量ともに特筆すべき史料群を今に伝える。これらによって、大坂市中の景気やそれに直結する米価に加え、広く全国の情勢にも意を配っていたことが知られるが、これはその事業が、三都の事業組織や大坂の大商人たち、幕府・諸大名を介して、全国の市場に直結していたためであったと考えられよう。

凡例および用語解説

  • 天気
    大坂での天候を示す。「快晴(霽)」「晴」「天気」「曇天」「雨天」「白雨(明るい空から降る雨)」「雪」「風立」「雷鳴」「蒸」などの分類がなされている。また、「昨夜中より雨、五つ時より曇天」のごとく、一日の天気の遷移についても知ることができるのが特徴である。さらに、「凉」「暑」「冷気」「寒」など寒暖についての記載も豊富である。「日記録」では、地震も「天気」に記載されているが、本データベースでは「事象(②自然災害・災害など)」に移した。また、読みやすくするために読点を加えた。
  • 事象
    本表では、「日記録」のうち、以下の3点について採録した。以下は要点である。
    1. 経済的事象
      幕府役人の交替(幕府要人と大坂役人)や解任(田沼意次など)、買上米や御用金など経済に影響を及ぼすと想定される幕府の法令、幕府が大名に命じた御手伝普請に関連する情報、その他近世経済に関わると思われる事項を採録した。
    2. 自然災害・災害など
      地震・火災・風雨およびそれによって生じた洪水などを記載した。「日記録」では大坂の災害に関する記載が圧倒的に多いが、三井が店を置いた江戸・京都・伊勢松阪などの記述もある。本データベースでは大坂・京・江戸での災害を中心に採録しているが、その他の地域においても規模の大きな災害については採録することとした。
    3. 騒動
      天明の打ちこわしに代表される、町や村で起こった「打ちこわし」や「一揆」に関連する事項、および幕末期の異国船来航、鳥羽伏見の戦いの情報などを採録した。
  • 金相場
    金一両につき、銀いくら(○匁○分○厘)であるかを示す。近世日本の大坂では、計算単位として主に銀を用いていた。元禄13年(1700)、幕府は金1両を銀60匁と定めたが、貨幣改鋳や需給などによって相場は日々変動していた。十人両替が統括する本両替仲間が北浜の金相場立合所にて早朝より正午まで相場を立てた。本表は大引(一日の最後に行われる取引)の数値であり、最小値と最高値が記される。この際の金はすべて小判一両を単位としており、「小判建」とも言う。金相場について、詳しくは新保[1978]を参照のこと。 安政6年(1859)6月1日からは、本位貨幣である小判及び一分判金ではなく、補助貨幣である有合金(当時通用していた二分判金・二朱判金・一分銀・一朱銀の四種類)により、金相場を立てることになった。そのため同日以降、金相場は有合金による「有合建」となっている。明治元年5月の銀目廃止以降は、同2年2月~4月の一時期、銀目による金札相場が立っているのを除き、「日記録」には記載がなくなっている。
  • 銭相場
    銭1貫文につき、銀がいくら(○匁○分○厘)であるかを示す。金相場同様、ここでも大坂での相場を指す。銭相場の立合所は南両替仲間なども立てていたが、本表では本両替仲間の立てた北濱相場立会所、特に当日の最終値段である引方相場を記している。最小値と最高値が記される。銭相場について、詳しくは新保[1978]を参照のこと。 明治元年5月の銀目廃止以降は、金1両につき銭いくらかで表記される。
  • 米相場
    米一石につき、銀いくら(○匁○分○厘)であるかを示す。本表での数値は、大坂堂島米会所にて決定したものであり、早朝より九つ時(正午12時)に終了する、いわゆる「正米」(スポット取引)の引方相場を示す。 相場表に示されている、加賀米・肥後米などの銘柄は、「立物米」という、当該期間における代表取引銘柄を指す。大坂米価を代表するものとして参照されたのが「立物米」の価格であった。主に肥後米・肥前米・広島米・中国米のいわゆる「四蔵」が選ばれることが多く、「四蔵」は、質・量ともに大坂に集まる蔵米の主要な地位を占めていた。本表では他にも加賀米・米子米が登場する。堂島米会所における米取引ならびに米価の形成過程について詳しくは高槻(2012)を参照のこと。 明治元年5月の銀目廃止以降は、米100俵につき金いくらか(◯両◯分◯朱)で表記される。
  • メモ、備考欄
    金相場・銭相場・米相場において、特記事項があれば、それぞれの「メモ」に記入した。銭相場のように最小値がふたつ、もしくは最高値がふたつ記載されている場合は、適宜メモに数値を掲載した。備考欄には全体の内容に関するものを記載した。
  • 特記事項
    1. データベースの文字について、原則として常用漢字と平仮名および算用数字を用いた。ただし、固有名詞や慣用句などはこの限りではない。また、『大阪金銀米銭并為替日々相場表』(三井家編纂室編、1916年)に記載されている注記は※を用い、原文のまま備考欄に掲載した。
    2. □は汚れなどで読めなかった文字であり、■は判読できなかった文字である。
  • その他
    1. 本データベースは、高槻泰郎(神戸大学経済経営研究所准教授)、村和明(公益財団法人三井文庫主任研究員)、藤尾隆志(元・神戸大学経済経営研究所研究員)、尾脇秀和(神戸大学経済経営研究所研究員)が作成した。また、校正作業として、安藤久子・平幸治・西野昌樹(いずれも神戸大学経済経営研究所技術補佐員)三氏の協力を得た。この場を借りて厚く御礼申し上げる。
    2. 本データベースについての問合せは、まで、Eメールで連絡のこと。その際、メール表題に【近世経済DB】と記入すること。
      ※電話にての問い合わせや、上記作成者に対する直接の問い合わせには一切対応できないので注意。

参考文献

  • 新保博(1978)『近世の物価と経済発展―前工業化社会への数量的接近―』東洋経済新報社
  • 財団法人三井文庫(1980)『三井事業史』本編1
  • 財団法人日本経営史研究所(1983)『三井両替店』株式会社三井銀行
  • 賀川隆行(1985)『近世三井経営史の研究』吉川弘文館
  • 公益財団法人三井文庫編(2011)『三井文庫史料叢書 大坂両替店「聞書」1 寛延四年~文化四年』吉川弘文館
  • 高槻泰郎(2012)『近世米市場の形成と展開―幕府司法と堂島米会所の発展―』名古屋大学出版会
  • 樋口知子(1987)「深井孫七郎「大坂店勤番日記」その一―天明六・七年の大坂両替店―」『三井文庫論叢』第21号
  • 三井家編纂室編(1916)『自天明七年至明治四年大阪金銀米銭并為替日々相場表 巻1』
  • 三井家編纂室編(1916)『自天明七年至明治四年大阪金銀米銭并為替日々相場表 巻2』
  • 公益財団法人三井文庫編(2015)『史料が語る三井のあゆみ―越後屋から三井財閥―』