タイトル

丁稚かSalary man か ―青年・出光佐三の選択―

要旨

本稿では、出光興産創業者の出光佐三が酒井商会という個人商店に就職した際のエピソードを起点として、酒井商会に対する「古風な店」「ちっぽけな商店」というこれまでの評価を問い直し、さらに出光が就職先として酒井商会を選択した理由についても考察する。また、神戸大学附属図書館大学文書史料室所蔵の資料を用いて、彼の酒井商会就職に対する「学校の面汚し」という評価を問い直すとともに、角帯前垂式の前近代的商店と、サラリーマン式の近代企業が並存した明治末期から大正初期にかけて、神戸高商卒業生のキャリア選択にどのような傾向があったのか、その概要を提示する。
 その結果、個人商店への就職を希望する卒業生が毎年一定程度存在したこと、将来の独立経営のために個人商店の実地見習を希望していた卒業生は出光だけではなかったことが明らかになった。また、ごく少数ではあっても、丁稚奉公をも覚悟して実地見習を希望していた卒業生が他にも存在していたことも明らかにした。しかし、彼が就職した明治末期は、実務見習のためには丁稚奉公までも覚悟するような卒業生が存在した最後の時期にあたっていた。大正時代に入ると、代表的な大会社である三井物産ヘの就職者が毎年10 名を超えるようになる一方で、第一次世界大戦で躍進を遂げる鈴木商店への就職者も急増する。会社への就職を希望するもの、個人商店への就職を希望するものの双方に、大きな変化が訪れていたと考えられる。

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