再選を果たしたルラ・ブラジル大統領の課題

神戸大学副学長・経済経営研究所教授 西島章次 

ブラジルで1029日、大統領選の決戦投票が実施され、現職で左派のルラ大統領(労働者党)が中道左派のアルキミン候補(ブラジル社会民主党)を破り、引き続き4年間の政権を担当することとなった。
 電子投票を実施しているため即日開票され、選挙最高裁の発表ではルラ候補が60.8%を獲得し、地滑り的な勝利となった。しかし、大差で勝利したものの、2期目のルラ政権には財政問題から政治腐敗まで課題が山積している。

争点とならなかった政治スキャンダル
 101日に実施された第1回目の投票では、ルラ候補が圧倒的勝利と予想されていたが、選挙直前の9月に労働者党の選挙参謀の不正が発覚し、ルラ候補が48.7%、アルキミン候補が41.6%といずれも過半数に至らず、決戦投票となった。
 大統領選挙と同時に実施されるサンパウロ州知事選挙で、労働者党の選挙参謀が社会民主党の候補に関するスキャンダルを捏造するために買収工作を行ったことが発覚し、しかも情報提供者に渡された75万ドル相当の札束の山が放映されたことから、無党派層がアルキミン候補に投票したとみられている。
 昨年、労働者党幹部や閣僚たちによる議会工作のための汚職事件が大きな政治問題となったこともあり、決選投票ではルラ政権の政治倫理が争点となるはずであった。しかし、確かにアルキミン候補の選挙キャンペーンにおける争点はルラ政権の腐敗体質であったが、労働者党の選挙戦略にうまくかわされた結果となった。
 アルキミン候補は、サンパウロ州知事時代に公的部門の効率化、減税、民営化、民活によるインフラ投資拡大などに手腕を発揮したことから、民営化や財政支出削減などを期待するビジネス界や南東部の豊かな諸州から支持を集めていた。
 アルキミン候補は、19才の医学生のときから政治に関わり、24で生家のあるサンパウロ州の地方都市の市長、その後、州ならびに連邦の下院議員、サンパウロ州知事と上りつめた経歴を持つ。しかし、エリート色が強く、知的であるがカリスマ性に欠け、テレビ討論会などで汚職問題を激しく攻撃する姿が選挙民に嫌われたとされる。
 他方、ルラ候補は、ボルサ・ファミリアと呼ばれる所得移転政策や最低賃金の引き上げで、貧困家庭比率を2003年の28%から2005年の23%に低下させた実績などを強調し、アルキミン候補が大統領となれば民営化や貧困政策削減が実施されると訴えることで、政治スキャンダルを争点にしない戦略が功を奏した結果となった。
 貧困層などの選挙民の多くは、多少のスキャンダルはいずれの政権にもつきもので、それより過去4年間の生活改善を評価し、ルラ候補を選択したといえる。

ルラ政権の2期目の課題
 貧農に生まれ労働組合の闘志であったルラ氏が2003年に大統領に選出されたとき、カルドーゾ元大統領の経済自由化政策が後退するのではとの懸念があった。しかし、大統領就任後は国際金融市場との協調的関係や財政緊縮化などカルドーゾ路線が踏襲され、マクロ経済の安定が維持された。
 しかし、インフレ抑制を高金利政策に依存しているために民間投資が抑制され、経済成長率は過去3年半の平均で2%台の水準にとどまっている。公約であった年4%の経済成長率には及ばず、一人当たりの成長率でみると1%に過ぎない。
 中央銀行は基準金利を1018日に0.5%引き下げ13.75%としたが、依然として高水準であり、民間投資は低迷を続けている。昨年6月の19.75%から10回以上に渡り引き下げてきたが、インフレ抑制と政府債務管理のために慎重な金利政策を維持しなければならない状況に変わりはない。
 しかも、この2%台の経済成長率に対しては世界の資源貿易の拡大が貢献したことを否めない。中国の旺盛な資源需要により、ブラジルからの鉄鉱石や大豆の輸出が急激に拡大したが、輸出の拡大とともに為替レートが2003年の就任時の1ドル=3.5レアルから今年10月には2.1レアルへと増価し、こうしたレアル高が中西部の大豆農家、南部諸州の靴や家具産業を直撃しており、輸出拡大も陰りを見せている。 ブラジルが抱える深刻な貧困問題の解消は、結局、経済の持続的な拡大と雇用の拡大がなければ実現しない。ルラ政権が重視する貧困政策は、貧困家庭に月額で約45ドル程度を支給するボルサ・ファミリアなどの所得移転政策が基本となっており、あくまでも対症療法に過ぎない。ルラ大統領の支持者の間でも低成長への批判は強い。
 また、こうした貧困対策が財政を悪化させており、連邦政府支出はGDP比で2003年の16.9%から本年には19%に拡大すると予想されている。他方で、経済成長のネックとなっているインフラ整備のための財政支出や、競争力を阻害しているGDP37%に達する税負担の解消など、財政にまつわる課題は多い。結局、マクロ的安定の維持と財政的な制約のもとで、社会的格差是正と経済成長率の回復という困難な課題に直面しているといえる。
 最後に、第2期のルラ政権にとっての最重要課題は政治腐敗の解消である。ブラジルでは多数の政党が乱立し、議会で連立を確保するための汚職スキャンダルが続いてきた。今回の選挙で労働者党は下院の513の議席のうち83を占めるに過ぎず、ブラジル民主運動党やその他左派との連携が不可避であるが、2期目のルラ政権にはよりクリーンな議会運営が強く要求されている。さもなくば、政治的腐敗を嫌う中間層などからの支持は得られない。
 なお、第1回投票直前に発覚したスキャンダルは、現在も司法当局で調査されており、その結末いかんによってはルラ大統領選出の正当性が問われる可能性を念頭においておかなければならない。

                                   2006年11月1日記