道のり険しいブラジルの新大統領

神戸大学経済経営研究所長 西島章次

 今年1月に発足したルラ新政権は、これまで無難に経済運営をこなしてきたが、5ヶ月が過ぎ、改めてその真価が問われようとしている。カルドーゾ前政権下ではインフレ沈静化などの大きな成果があったが、同時に積み残した問題も多く、ルラ政権が前政権の功罪を引き継いでいるからだ。
 新政権のこれまでの経済政策は基本的に前政権のそれを踏襲しており、その経済実績は予想を上回る良好なものであった。実際、ブラジルへの国際金融市場の信頼は著しく回復している。昨年の大統領選挙時にピークの2400となったカントリーリスク指標(JPモルガンのEMBI指数)は、今年5月には700台にまで低下している。
 しかし、今後とも、これまでの良好な状況を継続し、長期的にブラジルが抱える経済的問題の解決につなげることができるのだろうか。ルラ大統領には多くの課題が待ち受けている。

困難な政府債務の軽減
 前政権下で急激に増大した政府債務残高は、現在約2500億ドルで、GDPの56%に達する。しかも、多くは償還期間が短く、為替レートや短期金利で調整される国債であり、両者で債務全体の87%を占めることから、為替レートの減価や金利の上昇によって債務額が増加する構造となっている。
 こうしたブラジルの政府債務の問題に対して投資家は強い懸念を抱いており、何らかの理由で市場の信頼が低下すれば、新たな債務の発行にはより高い金利を提示せざるを得ず、ロールオーバー・コストが著しく高まることになる。したがって、債務の累積的な拡大がもたらされ、デフォルトが自己実現的となる危険性を有している。
 2003年には4割近くが償還期限を迎え、このうち対外債務として返済する必要があるのは約130億ドルであり、政府債務の適切な管理がルラ政権にとっての最大の課題となっている。
 今後、アルゼンチンの悲劇をブラジルで繰り返さないためには、政府債務の償還期限の長期化、為替レートや金利での調整型債務を金利確定型債務へ転換することなどが必要である。しかし、ルラ政権が最優先で実現すべきは、金利の引き下げと財政黒字による政府債務の圧縮であるが、その前途は決して容易ではない。

金利操作の限界
 2002年のインフレ率は12.5%であり、目標値であった上限の5.5%を達成できなかった。このため、新政権となってから何度かの金利の引き上げがあり、5月には基本金利(SELIC)を26.5%にまで引き上げている。しかし、いうまでもなく金利の引き上げは、金利調整型の国債を通じ政府債務を増大させる。
 ブラジルでは99年1月の通貨危機以後、変動相場制の下でのインフレ・ターゲット政策を採用しており、金利がインフレ抑制のための基本的な政策変数となっている。2003年は8.5%のインフレ目標が設定されているが、多くの金融機関は15%前後を予想している。こうしたインフレ圧力に対し、金利政策に頼らざるを得ず、金利の引き下げが望めない状況である。
 他方、為替レートは、昨年10月以来レアルが切り上がる傾向にあり、インフレ上昇の大きな要因となっている輸入インフレを抑える意味で好材料となっている。同時に、為替レート調整の政府債務にとってもレアル高は債務を軽減するため好都合である。
 しかし、これ以上レアル高が進むと貿易収支の悪化をもたらすことから、対外債務の返済を困難とする。ブラジルの対外債務は、2003年1月末で2116億ドルであり、今年は270億ドルの返済が予定されている。困難なく返済できるかどうかは、外資流入の見通しと、貿易収支黒字の規模に依存している。したがって為替レート政策も、インフレ抑制と対外債務との間で大きなディレンマを抱えているといえる。

望まれるルラ大統領のリーダーシップ
 巨額に累積した政府債務を低下させ、持続可能な水準で管理し、デフォルトの危惧を払拭するためには、一定額の財政黒字が必要である。2003年は、プライマリー・バランスで4.25%の財政黒字が目標とされているが、こうした黒字を実現するために懸案となっているのが年金改革と税制改革である。
 とくに年金改革は重要で、年金への政府補助がGDP比で5.4%(公務員年金へは4.1%、民間の年金へは1.3%)に達していることから、その削減は喫急となっている。
 このため、ルラ大統領は4月30日に年金改革法案を国会に提出し、今年度中の成立を目指しているが、8年間の前政権が年金改革を実現できなかったことを考慮すると、わずか就任4ヶ月で議会提出にまでこぎつけたルラ政権は高く評価されなければならない。
 しかし、年金改革は憲法改正にかかわるため、その審議過程は複雑であり時間を要する。また、両院で60%以上の賛成票を必要とするのに対し、労働者党を中心とする与党連合の議席数は両院ともに過半数を下回っていることから、野党の協力を引き出すルラ大統領の議会対策が極めて重要となっている。
 さらに、政権党である労働者党内での結束が乱れていることも重要である。労働者党内部では過激派、非主流派と呼ばれる議員が主流派を上回るといわれており、こうした議員に対し年金改革に賛同させるには、ルラ大統領のリーダーシップの発揮が不可欠であり、同時に、こうした役割はルラ大統領にしかできないともいえるのである。