大統領選挙に揺れるブラジル経済

西島章次(神戸大学経済経営研究所教授)

 去る八月七日、IMF(国際通貨基金)などの国際機関は、アルゼンチンの経済危機の影響を受けたウルグアイに対する一五億ドルの緊急融資に続き、通貨レアルの減価が続くブラジルへの総額三〇〇億ドルの緊急融資を発表した。
 こうした巨額の緊急融資は、ブラジルの通貨の安定に貢献し、対外債務のデフォルト・リスクを軽減させると期待されるが、先行きは依然として不透明である。来る一〇月六日の大統領選挙の結果に大きく依存しているからだ。

ブラジルへの緊急融資
 今回のブラジルへの三〇〇億ドルの追加融資枠は、IMFにとって単一国への融資枠としては過去最大となる。今年度中に約六〇億ドル、二〇〇三年中に融資枠の八〇%が供与される予定である。
 こうした大規模な緊急融資枠が設定された背景の一つは、レアルがこの三ヶ月で三〇%以上も急落したことにある。左派系の二候補が大統領選挙戦をリードしていることが直接的要因であるが、レアルの下落は政府債務、対外債務に対し深刻な影響を与える。
 現在のブラジルの政府債務は二八八〇億ドル、対外債務(政府・民間の総計)は約二〇〇〇億ドルに達するとされるが、政府債務の三分の一がドル建てであることから、為替レートの下落は政府債務の自国通貨での返済負担を増幅させ、財政を悪化させる。また、当然、為替レート下落は対外債務のレアルでの返済負担も高めることになる。
 今回の合意には、これまでブラジルに課していた外貨準備の下限を一五〇億ドルから五〇億ドルに引き下げることも含まれており、レアル安を防ぐための大規模な市場介入が可能となり、ひいては政府債務や対外債務のデフォルト・リスクを低めることが期待される。
 ところで、今回の措置は、ブッシュ政権が中南米諸国への金融支援へと転換したことが背景にある。エンロン問題などから動揺している米国経済が、中南米で金融不安が拡大することによって一層深刻化することを危惧しているからである。ただし、アルゼンチンに対しては従来の方針を維持している。
 IMFは、融資の大半が新大統領就任の二〇〇三年一月以降に実施されることから、大統領候補に対しても従来の経済政策の維持を要求している。カルドーゾ大統領は、既に四人の候補者を呼び出しIMFとの合意内容を遵守するように説得にあたったとされるが、依然として左派系二名の候補者に対する市場の不安は払拭されていない。

読めぬ大統領選挙の行方
 次期大統領を争っているのは、次の四人の候補である。野党PT(労働者党)のルーラ候補、PMDB(ブラジル民主運動党)と連立している与党PSDB(ブラジル社会民主党)のセーラ候補、野党PPS(民衆労働党)のシーロ候補、野党PSB(ブラジル社会党)のガロチーニョ候補である。
 ルーラ候補は労働者階層に圧倒的人気を誇るが、過去三回の大統領選でいずれも敗北している。当選した場合、これまで主張してきた反IMF的な政策をとるかどうかは明らかではない。セーラ候補はカルドーゾ大統領の後継者とみなされており、これまでに企画予算省、保健省の大臣を歴任している。シーロ候補は三二歳でセアラー州知事となり、イタマル政権下で大蔵大臣を経験している。九八年に大統領選出馬したがカルドーゾに敗れている。ガロチーニョ候補は元リオ州知事である。
 表には八月三〇日までの世論調査の結果が示されている。ルーラ候補は一貫してリードを続け、八月も三七%を維持している。八月に入りシーロ候補の支持率が二七%から二〇%へと低下したのに対し、セーラ候補は一三%から一九%へと伸ばしている。ガロチーニョ候補は既に戦線から脱落したとみなされている。
 こうした支持率の急激な変化は、テレビでの選挙宣伝が大きく影響している。ブラジルでは、新聞などのメディアよりテレビの影響力が圧倒的に高いからである。この意味で、八月二〇日から一〇月三日まで続く無料のテレビ宣伝期間中に、圧倒的な放映時間を持つ与党のセーラ候補が支持率を高めるとの見方が多い。
 現在の大方の予想では、いずれの候補も過半数を取れず第二次選挙(一〇月二七日)にもつれ込む公算が大きい。ルーラ候補とセーラ候補か、ルーラ候補とシーロ候補の一騎打ちとなるとされるが、ルーラ候補の過去の大統領選挙がそうであったように、極端な政策を嫌う有権者の傾向から、ルーラ候補が有利であるとは限らず、予測は困難である。
 ところで、今後の選挙戦において重要なのが各政党間の連合の可能性であり、とくに下院の最大政党である自由前線党(PFL)の動向が鍵を握る。PFLはカルドーゾ政権を支える連立与党の一翼を担ってきたが、大統領選への独自候補の出馬を断念させた一連の疑惑騒動がPSDBの思惑によるものとして、現在では連立から離脱している。
 既にPFLの大御所であるマガリャエンス元上院議員はシーロ候補の支持を表明しているが、どのような離合集散が形成されるかによって選挙は大きく影響され、今後の選挙戦を見通すことは困難である。いうまでもなく、こうした状況が市場の不安を掻き立てているのである。

(9月9日記)