米国の保護主義に反発強めるブラジル

西島章次 神戸大学経済経営研究所教授

 このところ米国の保護主義的傾向が強まっている。二〇〇〇年一〇月のダンピング課税収入を被害を受けたとされる業界に配分する「バード修正法」、今年三月の鉄鋼製品に対する緊急輸入制限措置(セーフガード)、同四月の農業補助金を大幅に増額した二〇〇二年版の「新農業法」など、目白押しだ。
 こうした米国の保護主義的動きに対し、ブラジルなどのラテンアメリカ諸国は反発を強めており、二〇〇五年に交渉終了が予定されているFTAA(米州自由貿易地域)の先行きが危ぶまれている。

増大するブラジルのWTO提訴
 ブラジルの鋼板など一部の鉄鋼製品は、既に八〇年代から米国の反ダンピング関税などの対象となっていたが、今回のセーフガードの発動によって、一四品目を対象に八%から三〇%の関税が賦課されることになった。
 ブラジルにとって最も深刻なダメージとなるのは、鉄鋼半製品のスラブが新たに対象となったことである。今回の措置では、二八〇万トンまでは対象とならないが、それを超える分には三〇%の関税が賦課される。ブラジルのいくつかの製鉄会社は米国の企業を買収し、スラブをブラジルから供給することを予定していたことから、ブラジルの今年の輸出見込みは約三五〇万トンであったとされる。
 ブラジルの鉄鋼製品全体の供給能力は三二〇〇万トンで、昨年の実績は二七〇〇万トンであった。国内の需要が一八〇〇万トン前後であることから、ブラジルの鉄鋼業は輸出の拡大なしでは立ち行かない。ブラジル政府は、昨年七・三億ドルであった鉄鋼製品の対米輸出はセーフガードによって一五%の低下となると予想している。
 さらに、米国のセーフガード発動によって鉄鋼製品の国際価格が低下することや、EUなどの諸国が報復措置をとることになれば、ブラジルへの影響が増幅される。ブラジルの鉄鋼輸出の三六%は米国向けであるが、四〇%がEUとその他ラテンアメリカ向けである。
 ブラジルの米国への不満は、今回の措置が、ラテンアメリカで唯一ブラジルを対象としていることからも強まっている。メキシコはNAFTA加盟国を理由に対象とはなっていないし、アルゼンチンも経済危機にあるとして外されているからだ。
 米国のセーフガード発動に対し、日本、EU、中国などが既にWTOに提訴しているが、ブラジルも五月二〇日に提訴し、六〇日間の個別交渉で決着しない場合、紛争処理委員会(パネル)が設置されることになる。既にEUの要請を受けたパネルが決定されているが、その他の諸国のパネルも近いうちに設置される公算が大きい。
 鉄鋼製品以外にも、これまで米国はブラジルに様々な輸入制限を課してきた。例えば、濃縮オレンジジュースへの反ダンピング規制は八七年以来引き続いている。その他、砂糖キビ、精糖、鶏肉などにも禁止的な関税率が賦課されている。ブラジルの輸出品の上位二〇品目に対する米国の輸入関税は平均で三九%の高率であるとされ、ブラジル政府は米国のこうした保護政策を常々問題としてきた。
 既に「バード修正法」に対しては、ブラジルは日本、EU諸国、韓国などとWTOに合同提訴しており、同法案がWTO協定違反かどうかについてのパネルの最終報告が六月末に出される予定である。また、「新農業法」によってもブラジルの損害は四年間で九六億ドルに達するとされ、ブラジル政府はWTOに提訴することを決定している。

進展見込めぬFTAA
 ここで重視すべき問題は、こうした米国への反発のなかで、ブラジルのFTAA交渉での反米色がいっそう強まることだ。カルドーゾ大統領は、「米国の保護政策が是正されない限りFTAA参加は在り得ない」と表明している。
 そもそも、ブッシュ政権が「一括交渉権限」(ファストトラック)獲得にもたついているために、FTAA交渉は足踏みしている状況にある。米国の通商政策の要となるファストトラックは、昨年一二月に米国下院を僅か一票差で可決したが、民主党が過半数を占める上院で審議は難航し、本年五月一四日にようやく可決した。
 しかし、可決した法案には、一括・無修正で議会に承認させる権限を実質的に骨抜きにする修正条項がつけられている。通常、通商協定には微妙な利害が含まれており、議会で一部でも修正されれば、不利となった相手国が反発を強め、合意が反故となる可能性が高い。上院と下院とで異なる内容で可決された場合、両院協議会での調整後に再び両院で可決されなければならないが、修正条項が削除されるかどうか不明である。
 ブッシュ大統領は、一括交渉権を獲得するために、米国内の保護主義的圧力に対するカードとしてセーフガード措置を発動したともいえるが、このような米国内の政治の論理をブラジルなどの諸国が了解すべくもない。修正条項無しの一括交渉権がブッシュ政権に付与されないことは、ラテンアメリカ諸国はFTAA交渉において米国を信用せず、交渉が難航することを意味する。
 ところで、保護主義を強める米国に対し、ラテンアメリカ諸国はEUとの自由貿易地域の形成に活路を見出そうとしている。EUと中南米諸国は、五月一七日にマトリードで首脳会談を開き、両地域間での自由貿易協定の推進を協議した。EUとメキシコは既にFTAを二〇〇〇年七月に発足させているし、EUとチリのFTA交渉は同会議で終了が発表された。また、EUとメルコスールも具体化を急ぐことで合意している。
 このような状況のもと、経済危機にあるアルゼンチンは通商問題にまで手が回らないこと、クーデター未遂事件が生じたベネズエラで政情不安が続いていることなども考慮すると、FTAA交渉が予定通りに進展しない可能性は高いといわざるを得ない。