経済破綻後も前途多難なアルゼンチン経済 (2002年1月7日記) 

西島章次(神戸大学経済経営研究所教授)

 ネオリベラリズム(新経済自由主義)の優等生として、米国やIMF(国際通貨基金)などから高く評価されていたアルゼンチンが経済破綻した。昨年来、政府債務のデフォルト懸念が急激に高まっていたが、昨年一二月初めの預金引き出し制限以後、暴動などの社会的混乱、度重なる大統領の交代劇、政府対外債務の一時支払い停止、ドルペッグ制の放棄と、めまぐるしい動きを見せている。

ドルペッグ制の功罪
アルゼンチンは、一九八〇年代に五〇〇〇%に達するハイパー・インフレに苦しんだが、九一年からカレンシー・ボード制を導入し、一ドル=一ペソのドルペッグによってインフレは急速に沈静化した。ドルペッグは、また、短期的な為替リスクを持たないことから、大量の海外資本が流入し、九〇年代の高い経済成長率を可能とした。
しかし、ドルペッグによって為替レートの過大評価が生じ、九一年以降一貫して経常収支は赤字となった。他方、メネム政権下で財政赤字は改善されないままであった。こうした二つの赤字は旺盛な資本流入で埋め合わされていたが、当然、巨額の対外債務が累積することになった。
アジア危機によって資金流入が先細るなか、九九年一月にブラジルで発生した通貨危機によって事態は急激に悪化した。アルゼンチンの輸出の三〇%強がブラジルへの輸出であり、隣国の大幅切り下げがアルゼンチンの輸出を大きく低下させたからである。
 ドルペッグの下で対外債務返済の資金を稼ぐには、輸出競争力が改善しなければ、国内経済の引き締めしかない。このため、GDP成長率は九九年のマイナス三・四%、二〇〇〇年のマイナス〇・五%、昨年のマイナス五%(予測)と三年連続でマイナスとなり、失業率の増大など、これ以上の経済引き締めが社会的に困難な状況となっていた。ドルペッグの限界は明らかで、アルゼンチンがドルペッグに固執する限り、対外債務のデフォルト懸念は不可避であった。

綱渡りの債務繰り延べ策
 デフォルト懸念の高進に対し、アルゼンチン政府が取った政策はまさにその場凌ぎの繰り返しであった。まず、二〇〇〇年一二月にIMFなどと総額で三九七億ドルの緊急融資の合意を取り付け、当面のデフォルトを回避した形となった。しかし、その後も、トルコの金融危機や国内政治問題からアルゼンチンへの信頼は回復せず、アルゼンチンのドル借入れのスプレッドは上昇を続けた。
このため、二〇〇一年三月には、カレンシー・ボードの生みの親であるカバロ氏を大臣として再登板させることになった。国際的知名度が高くスーパー・ミスターと呼ばれるカバロ氏の登用によって、アルゼンチンの信頼を回復させることを意図したものである。
さらに、アルゼンチン政府は混迷打開の切り札として、六月三日に償還期間の長い債務への借り換えを実施した。総額二九五億ドルに達するこれまでの世界でも例を見ない巨額の債務借り換えであり、二〇〇六年までの元利払いのうち一六〇億ドルが延期され、とりあえずの時間稼ぎとなった。
 だが、七月一〇日に実施された国債入札の不調を契機に再びデフォルト懸念が高まり、七月だけで外貨準備が六七億ドル減少し、八月初めには一七〇億ドルにまで低下した。このためIMFは、八月に入り、同国に対して既に設定している一三四億ドルの融資枠のうち一二・六億ドルを前倒し融資することと、新たな八〇億ドルの追加融資を決定した。
しかし、こうした融資の多くは財政均衡を前提としており、二〇〇一年の財政赤字がIMFとの合意目標を満たさないことが明らかとなったことから、IMFは一二・六億ドルの前倒し融資を拒否。このため、二〇〇一年末の返済資金繰りが困難となった。

大統領交代劇と債務支払い停止
一一月に入り預金封鎖や切下げの噂が広まり、銀行の取りつけ騒ぎが頻発する事態となり、一二月一日、緊急措置として銀行預金の引出しが週二五〇ドルまでに制限された。このため、一九日には預金凍結に対する抗議行動や略奪事件が発生し、以後アルゼンチンの政治・経済はめまぐるしく展開することになる。
同日、非常事態宣言が発令され、全閣僚が辞任。翌二〇日には、デラルア大統領の辞任となった。二三日には、ロドリゲス・サー大統領が就任し、政府対外債務の一時支払い停止、固定相場維持、新通貨導入などが発表された。同日のアルゼンチン国債相場は急落し、二〇〇八年満期のグローバル債は額面一〇〇ドルに対し一八ドルとなり、アルゼンチン国債と米国債の利回り格差も四九・七九まで拡大した。
さらに二八日夜には一部暴徒が国会に乱入し、正義党内部の抗争から事態を収拾できないまま就任八日目にして大統領の辞任となった。今年一月一日にはドゥアルデ新大統領が就任したが、上下院議長などの暫定大統領を含めると二週間で五人目の大統領であった。
しかし、一月六日、議会が新政権に向こう二年間の金融政策の決定権を与える「国家危機為替制度改革法案」を可決し、経済再建への準備が整うことになった。同日夜には、レメス経済財政相から、四〇%の為替切り下げが発表されている。また、現地報道では、固定相場を貿易取引に適用するが、旅行者向けには変動相場を適用する二重為替制度を導入するとしている。
その他、預金引き出し制限措置は九〇日間継続することや、ドル建て債務のペソ建てへの転換は対象額を一人一〇万ドルまでに制限することが法案に明記されている。
なお、一月三日にはイタリア・リラ建て国債二八〇〇万ドルの支払を停止したことが発表され、一四一〇億ドルに上るアルゼンチン政府の対外債務が正式にデフォルト状態となり、アルゼンチンは国際金融市場から締め出されることになった。

待ち構える多くの難題
第一は、為替切り下げの影響である。切り下げはアルゼンチンの信認回復と競争力強化には不可欠であるが、債務の八〇%がドル建てで、収入はペソ建てである家計や企業が深刻な打撃を受けることから、ドル債務のペソ建てへの転換など債務者の保護が必要となる。だが、こうした措置は銀行の資産を大幅に低下させることから、銀行への救済措置が可能でなければ、深刻な銀行危機が生じる可能性を否定できない。
また、現在の外貨準備は一五〇億ドルに過ぎず、かなりの程度の新規資金が入手できなければ固定為替制度を維持するには不十分である。メキシコやロシアの場合と同様に激しい資本流出によって固定相場が維持できず、早晩、変動相場となる可能性が高い。また、二重為替制度自体、実質的にドル化した経済では闇市場が蔓延し、その維持は困難である。
切り下げによるもう一つの懸念はインフレ再燃である。既に、一部商品の値上げが報じられている。切り下げによる輸入財価格の上昇や便乗値上げを何らかの措置で抑えることができたとしても、財政健全化が実現しなければインフレ高進は避けられない。ドゥアルデ大統領がブエノスアイレス州知事時代に州財政を悪化させた経緯から、政府財政赤字の拡大が危惧されている。
第二は、政府債務処理の問題である。今後、債務借り換えや債務削減が実現しなければアルゼンチンは国際金融市場に復帰できない。こうしたデフォルト処理は、今後のIMFとの交渉に依存しているが、IMFがどのように対処するのかが注目される。
今回のアルゼンチンの破綻に関し、IMFは必ずしも首尾一貫した政策を実施してきたとはいえない。一方で、デフォルトと切り下げが不可避であるにもかかわらず、過去二年間で一一〇億ドルもの資金供与したのに対し、他方で、深刻な景気後退にもかかわらず厳しい引き締め要求し、アルゼンチンが借り換えを実施中にその裏付けとなる資金供与を拒否しデフォルトに追いやったからである。
アルゼンチンには、IMF主導の経済自由化政策が経済破綻をもたらしたとする反発も多いだけに、IMFの今後の対処は極めて難しいといえる。正義党を主体とする新政権は、大衆迎合的・ナショナリスト的なポピュリスト体質をもつ政権であり、IMFから新規融資を引き出した後に保護主義的な政策に回帰する危険性が指摘されている。
第三は、アルゼンチン危機の他国への影響である。メキシコ、ブラジルなどの周辺国は既にドルペッグから変動相場制に移行していること、市場関係者は既に危機を織り込んで事前の対策を取っていることから、その影響は限定的であるとされる。
しかし、スペイン企業への影響が懸念されている。BIS(国際決済銀行)によると昨年六月末のアルゼンチン向け銀行融資残高は、スペインが一七六億ドルで、二位の米国の一〇一億ドルを上回っている。とくに、サンタンデールとビルバオ・ビスカヤの二大銀行、テレフォニカ、エンデサなどの大企業が積極的にアルゼンチンに進出している。これらの企業だけでマドリード株式市場の価値の五分の三を占めるることから、これらの企業の業績悪化がスペイン経済やユーロに与える影響が危惧される。
第四は、政争激化の懸念である。既に切り下げによる生活困窮化を危惧する人々の抗議行動が続発しており、一触即発の状況である。国民の三分の一が貧困ライン以下の状況で、社会がどこまで切り下げに耐えられるかが焦点となっている。
社会的混乱が政治的混乱を招けば、正義党内での政争が激化し、より大衆迎合的な政策が実施される可能性や、ドゥアルデ大統領の退陣の可能性も否定できない。こうなれば、経済再建はいっそう困難となる。結局、アルゼンチンの経済破綻とは、為替制度の問題ではなく、国内政治問題、社会問題であったことを再認識する必要があるといえる。
(二〇〇二年一月七日記)