アルゼンチンのデフォルト危機は回避されるか
神戸大学経済経営研究所教授 西島章次
アルゼンチンは、九一年からのドル・ペッグ(カレンシー・ボード制)によってハイパー・インフレを終焉させ、九八年まで平均で五%を越える経済成長を達成してきた。しかし、アジア、ブラジルの通貨危機の影響を受け、九八年から深刻な経済危機が続いている。
とくに昨年後半からは、アルゼンチンの政府債務への信頼が揺らぎ、デフォルトが危惧される事態となった。このため、政府は昨年一二月にIMFなどと総額で三九七億ドルの緊急融資の合意を取り付け、どうにかデフォルトを回避した形となった。IMFも、アジア、ロシアの通貨危機の経験から、予防的に早期の支援を決めたといえる。
四月現在でのアルゼンチンの政府債務は、一二八〇億ドル(うち対外債務は九〇〇億ドル弱)で、今年の返済予定額は一九七億ドル、二〇〇五年までの総額は八一〇億ドルであった。
スーパー・ミニスターの再登板
しかしその後も、トルコの金融危機、国内金融機関のマネーロンダリング疑惑の発覚などから、アルゼンチンへの信頼は回復せず、アルゼンチンのドル借入れのスプレッドは上昇を続けた。
三月に入ると、政府はマティネア経済財政相を更迭し、財政緊縮派のロペスムルフィ国防相を後任に据え混迷の打開を図った。だが、三月末には大統領自身の辞任が取りざたされるに至り、わずか二週間足らずで再度経済財政相を更迭し、国際的知名度が高くスーパー・ミスターと呼ばれ、カレンシー・ボードの生みの親であるドミンゴ・カバーロ氏を大臣として再登板させることになった。
ドル・ペッグの下では、為替レートの過大評価と国際競争力の低下が避けられないが、為替レートが切り下げられないため、景気後退か生産性改善のみでしか対外均衡を回復できない。このためカバーロ大臣は、就任早々、二〇%のコスト低下を目指す「競争力法」などの経済政策を打ち出した。
同時に、硬直的なカレンシー・ボード制への批判をかわす対処も必要であった。いうまでもなく、変動相場への移行による急激な切り下げは、アルゼンチンの場合壊滅的な影響を与える。既にアルゼンチンは実質的にドル化経済であり、債務の五分の四がドル建て債務となっているため、切り下げはペソ建てでの債務額を増加させ政府、企業、銀行を窮地に陥れるからである。
カバーロ大臣の苦肉の策は、通貨バスケット制を導入することであった(四月一六日に法案成立)。ドルとユーロが五〇%づつの比重を持つ通貨バスケット制である。この制度の下では、ユーロがドルに比して弱くなれば(一ユーロ=〇・九ドル)、ペソの対ドル交換比率(ドルとユーロの平均値)は一ペソ=〇・九五ドルとなり、対ドル切り下げとなる。急激な切り下げではなく、また、ドルのみにペッグするという硬直性を無くすという点で有効であるかもしれない。
しかし、今後どのようにユーロが推移するか不確実性で、ユーロがドルより強くなればペソの対ドル・レートも切り上げとなる危険性もある。また、国内通貨供給がハード・カレンシーに裏打ちされることに変更なく、金融政策が制限されることには変わりない。
実施時期に関しては、当初、ドルとユーロが等価となった時点で開始されるとしていたが、六月一七日の報道によると、一八日より通貨バスケット制を貿易に限定して前倒しで実施するようだ。現状では一ドル=一・〇八ペソ近辺のレートとなり、貿易収支の改善が見込まれる。ただし、預金や債務には適用されず、経済活動に混乱はないとされている。
時間稼ぎの債務借り換え
ところで、依然として債務に対する市場不信が続くなか、アルゼンチン政府は混迷打開の切り札として、去る六月三日に償還期間の長い債務への借り換えを実施した。総額二九五億ドルで、これまでの世界でも例を見ない巨額の借り換えであることから「メガ・スワップ」と呼ばれ、主としてアルゼンチンの地場・外資系銀行、年金基金などが借り換えに応じた。うち、外国人投資家は八〇億ドルの借り換えに応じたと見られている。
この債務の借り換えによって、二〇〇六年までの元利払いのうち一六〇億ドルの延期が可能となった。この額は、今後一八ヶ月間に到来する予定返済額の約半分に相当する。とりあえず当面のデフォルトを回避し、経済正常化への時間を購入したことになる。返済負担が軽減すれば、経済成長を回復させる政策が実施しやすくなる。
しかし、大きな賭けでもある。借り換えの実現にはより高い利回り(一五・三%)の提示が必要で、従来のものより五%ポイントも高いものであった。このため借り替えた債務は五年で倍増することになるが、経済成長が実現すれば債務の対GDP比率が低下し、デフォルトの危険性は低下する。しかし、成長が実現しなければ事態は悲劇的だ。
この点で憂慮すべきは、債務返済の延期によって財政再建などの政府の努力が後退する可能性である。だが、現政権に反対する政治的圧力は強く、それでなくとも急進党と祖国連帯戦線の連立与党であるデラルア大統領の政治的基盤は弱いことから、厳しい政策はとりにくい。アルゼンチン経済にとっての山場であるが、二〇〇三年の大統領選を射程におくカバーロ大臣にとっても正念場である。
(六月一八日記)