動き出した日本メキシコ自由貿易協定
神戸大学経済経営研究所教授 西島章次
これまで日本はGATT・WTO体制のもと、多国間での貿易自由化を基本方針としてきた。しかし、九〇年代に入り世界の各地域で地域主義が台頭するなか、わが国も地域経済統合と無縁では済まされない状況となっている。九九年末の時点で世界にはFTA(自由貿易協定)など一三四の地域協定が機能しており、主要国でいずれの協定にも参加していないのは日本、韓国、中国ぐらいとされる。
しかし、九九年のWTOシアトル会議での新ラウンド開始の失敗や、アジア通貨危機後のAPECへの関心の低下から、多国間での貿易自由化の進展が望めないなか、シンガポールや韓国などのアジア諸国も二国間でのFTAに強い関心を示し始めている。
わが国も、初めてのFTAとして今年一月よりシンガポールとのFTAに向けて交渉を開始している。さらにメキシコ、チリ、韓国なども候補に上がっている。とくにメキシコとのFTAは産業界からの要望も強く、既に経団連の意見書、JETROとメキシコ商務工業振興省の共同研究などが出されており、日本における関心は高い。
メキシコの積極的な地域主義
メキシコはチリとならびFTAを最も積極的に展開している国の一つである。メキシコでは地域経済統合は、八〇年代後半から進めている経済自由化の一環として位置付けられ、まず九四年にNAFTA(北米自由貿易協定)に参加した。
周知のようにNAFTAはメキシコの貿易と直接投資流入を急速に拡大させ、九三年には五一九億ドルであったメキシコの輸出は九九年には一三六九億ドルとなり、また直接投資流入は同期間に四四億ドルから一二〇億ドルへと急増した。
しかし、NAFTAは同時に対米依存を強めることとなり、九九年の対米輸出は全体の八八%にも達した。メキシコとすれば過度の米国依存によって、米国経済の景気動向に大きく左右されることや、ラテンアメリカ諸国に対するメキシコの影響力低下を防ぎたいところである。このためメキシコでは、多くの国々と二国間でのFTAや地域的枠組みを積極的に展開してきた。
現在、メキシコは米国、カナダに加え、コロンビア、ベネズエラ、ボリビア、チリ、イスラエルなどと二国間FTAを結び、昨年七月からはEUとのFTAが動き出している。ペルー、シンガポールなど交渉中の国も多い。ブラジル、アルゼンチンとは経済補完協定を結んでおり、まさに地域統合によるネットワークを張り巡らしているといえる。
二国間のFTAには、多国間で形成されるFTAと比べ利害対立やセンシティブな部門の数が少なく、貿易自由化の合意が得られ易いという利点がある。逆に、差別的な原産地規制が採用される可能性や、センシティブな部門が残存する可能性などの問題点も有している。また、影響力のある国の場合、自国に有利な形で貿易ルールを偏向させる可能性も否定できない。
だが、こうした問題を含みながらも、ラテンアメリカではメキシコ、チリを中心として二国間FATが急激に進展していることに注目しておく必要がある。
日本メキシコ自由貿易協定
既に米国、EUとFTAを結んでいるメキシコは、残る世界の経済センターである日本とのFTAを強く希望している。現在、日本とメキシコ間の投資保護協定が交渉中で、フォックス大統領の来日予定の四月末から五月までに交渉を終了させるとされている。大統領来日時には、FATに関しても何らかのアクションが起こされる可能性が高い。
日本にとっても、メキシコとのFATから得られるメリットは大きいとされる。メキシコはラテンアメリカではブラジルに次ぐ経済規模を有するとともに、米国、ラテンアメリカ諸国、EUとFTAによるネットワークを持ち、日本にとって輸出市場としてのみならず輸出基地として戦略上重要な国である。米国やEUがFTAの枠組みの中で比較的自由にメキシコにアクセスしうるのに対し、非加盟の日本は不利な立場に置かれている。
また、輸出向け生産に必要な部品輸入を無税とするマキラドーラ(保税加工制度)が廃止されたことも重要である。エレトロニクス産業などで進出している日系企業では輸入部品も多く、メキシコとFTAが結ばれればマキラドーラ廃止の影響を相殺できる。さらに協定に外資規制の撤廃、基準認証、政府調達、紛争処理、知的所有権などの分野の取り決めが含まれれば、対メキシコ直接投資を促進する可能性が高い。
しかし、日本側には農産物、豚肉、アパレル、皮革などでセンシティブな部門が存在しており、交渉が困難化することが予想される。例えば原油に次ぐ輸入品目となっている豚肉は国内価格安定化のための差額関税の対象となっており、これの無税化に対する国内生産者からの反発は強いであろう。
FTAは、原則的に全ての品目で自由化されなくてはならないとGATT二四条で規定されている。しかし、メキシコEU自由貿易協定における農産品の取り扱いは、一定期間を定めて段階的に自由化する品目や、ウエイティング・リストとして実質的に例外扱いとするなどの便宜的な措置がとられている。このようなメキシコのプラグマティックな方法が参考になるかもしれない。
FTAは、いずれの場合にせよ、遅々とする国内の構造改革を加速する点からも重要である。世界が地域主義を高めている現在、地域統合に参加しないことから生じる不利益が顕在化しつつある。世界の潮流から取り残されないためにも、日本メキシコ自由貿易協定の進展を期待したい。
2001年3月19日記