崖っぶちのアルゼンチン経済
西島章次(神戸大学経済経営研究所教授)
「アルゼンチンはもう後戻りできないところに来ている」。一二月六日の神戸大学でのセミナーで、ギレルモ・カルボ氏(米州開発銀行チーフ・エコノミスト)が語った言葉だ。
米国メリーランド大学教授でもあるカルボ氏は、アルゼンチン出身の著名なマクロ経済学者で、通貨危機やドル化などの問題について米国議会で証言するなど、影響力も大きい。そのため、セミナーでは憶測めいた話はなかったが、この言葉はアルゼンチンの現状をみごとに表現している。
約一三二〇億ドルの政府債務(うち七二〇億ドル近くが対外債務)を抱えるアルゼンチンでは、この数ヶ月でデフォルト懸念が急激に高まってきた。いまやアルゼンチン国債のカントリーリスク(米国債に対する上乗せ金利)は三〇%近くにまで達し、スタンダード・アンド・プアーズがアルゼンチン国債の一部を「選択的デフォルト」に格付けるなど、事態は逼迫している。
今回のアルゼンチンの問題が日本でも大きな話題となっているのは、アルゼンチン政府発行の円建て外債(通称サムライ債)の流通価格がデフォルト懸念で急落しているからだ。アルゼンチン政府がこれまでに発行したサムライ債は一九一五億円に達する。その多くを個人や中小金融機関が購入しているとされ、新興国の危機で日本の投資家が直接的に影響を受ける初めてのケースとなる。
綱渡りの先送り
債務返済が困難となったアルゼンチンは、これまで実に様々な先送り策を実施してきた。昨年一二月のIMFを中心とする総額三九七億ドルの緊急融資の合意、六月の総額二九五億ドルの長期債務へのスワップ、八月のIMFとの一二・六億ドルの前倒し融資の合意、同八月の追加融資八〇億ドルの合意などである。
しかし、問題はこうした融資の多くが、アルゼンチンの財政均衡を前提としていることである。今年の財政赤字についてIMFとは六五億ドルの赤字で合意していたが、大幅な税収低下も災いし、実際にはそれを一三億ドル上回ると予想されている。
一一月末にIMFのミッションがアルゼンチンを訪問し、財政状況や来年の予算計画を調査したが、IMFは財政に関して合意条件をクリアーしていないとして一二・六億ドルの前倒し融資を拒否した。このため、一二月六日にカバロ大臣がワシントンに出向き、IMFとの再交渉を行なったが、不首尾に終ったようだ。年末には二〇億ドルの返済期限が来るとされ、前倒し融資の拒否は極めて重要な意味をもっている。
さらなる問題は、こうした追加融資が出ないと、現在の戦略である債務の借り換えに支障をきたすことである。アルゼンチン政府は去る六月の二九五億ドルのスワップに加え、一一月にはさらに六〇〇億ドルの国債について(IMFからの追加融資三〇億ドルを担保に)、期日を三年間延長し利回りを七%以下に引下げる一方的な債務スワップを債権者に要求している。
国内債権者の多くは、七%であっても何も返済されなくなるよりは得策であるとして、スワップをどうにか受け入れたようであるが、海外の債権者との交渉は難航している模様である。とくに海外の銀行など大口投資家が受け入れるかどうかが鍵となっている。しかし、市場での利回りが三〇%近いところを七%に制限するのは実質的なデフォルトであることに注意すべきである。
フロート制それともドル化?
アルゼンチンが債務返済困難に陥った基本的理由は財政赤字の存在と、九一年以降の兌換法と呼ばれる一ペソ=一ドルのドル・ペッグである。兌換法はかのハイパー・インフレを終息させたが、為替レートの過大評価をもたらし対外債務の返済を困難としてきた。
為替レートが固定されている限り、返済のためのドルを稼ぎ出すには、国内経済の引き締めによるしかない。今年を含め過去四年間深刻な経済不況となっていることから、最近ではMITのクルーグマン教授など、多くの経済学者が兌換法の放棄を示唆している。
一方、アルゼンチン政府は、兌換法は決して放棄しないと断言している。当然である。万一政府が切り下げをほのめかすと、銀行取り付け、債務売却など、間違いなく危機が訪れるからだ。だが、失業率が一七%に達する勢いで、カバロ大臣への支持が急速に低下し、国民の間でドル・ペッグの放棄の予想が広まりつつある。一一月に入ると預金封鎖や切下げの噂が広まり、銀行の取りつけ騒ぎが懸念される事態となった。
このため、一二月一日に、アルゼンチン政府は緊急措置として、銀行預金の引出しを週二五〇ドルまで、貿易決済を除く海外送金を月一〇〇〇ドルまでに制限するなどを発表。さらに、一二月七日には三二〇億ドルを有する年金基金の支払いの停止を発表している。こうした措置によって一時的に資本逃避を防ぐ時間稼ぎが可能となるが、部分的な預金封鎖であることには相違なく、もはや兌換法への信頼が失われたといって過言ではない。
問題は、債務問題が何らかの形で決着する時に、ドル化されるかフロート制となるかである。ドル化は確かに通貨アタック・為替リスクを無くすが、カントリーリスクが無くなるわけではない。国債返済のためにいっそう厳しい不況が待っている。一方、切り下げは競争力を改善するが、ペソ建ての収入・ドル建ての債務を持つアルゼンチンの人々と企業に打撃を与え、広範な企業倒産と金融危機が危惧される。
今後、IMFが何らかの債務救済の方策をとるのか、このままデフォルトになるのか、どのような形になろうとも、アルゼンチンには苦渋の選択が待っている。
(一二月一〇日記)