ブラジルで始まった麻薬戦争
神戸大学経済経営研究所教授 西島章次
世界第二位のコカイン消費地
いまブラジルは麻薬(コカイン)問題で揺れている。次々と麻薬取引の実態が明らかとなり、一般国民も麻薬犯罪が社会の隅々にまで浸透していることを改めて認識させられている状況だ。
これまでブラジルはたんに麻薬貿易の中継基地であるとされてきたが、いまや麻薬取引の犯罪組織が出現しつつあり、同時にブラジル国内でのコカインの消費が拡大し米国に次ぐ世界第2位のコカイン消費国である。サンパウロだけで一六〇万人の麻薬常習者、一〇万人近い密売人がいると推定されている。
国連の調べでは、ブラジルの麻薬取引きは一〇〇億ドルに達するとされる。ボリビア、ペルーなどの原産地ではコカ・ペーストは一キロ当たり一千ドルで取引されるが、精製されたコカインはサンパウロで一万ドル、アメリカで四万ドルとなる。このため、精製、密輸、密売ビジネスは巨額の富を生むことから、ブラジルで麻薬組織が暗躍し始めたのは当然のことといえる。
こうした麻薬の浸透は治安の悪化と関係している。九七年に発生した殺人事件四五五三件のうち、五〇%が麻薬がらみであった。都市の麻薬密売組織はスラムに潜み、住民に対し食糧や様々な便宜を提供し、住民と共存しているともいわれている。
暴かれる麻薬取引の実態
これまでに摘発されたケースは、二四の航空機を保有してコカインの輸送をおこなっていた密輸組織や、パラ州で建設中であったが月産一〇トンのコカ精製工場(年間の精製能力はアメリカのコカイン消費量の半分に匹敵)の摘発など、枚挙のいとまがない。こうした組織は武器の密貿易ともからみ、パラ州では対戦車砲の取引が発覚したこともあった。
ブラジルの国会は九九年四月より麻薬調査委員会を設置し、麻薬取引の実態を調査してきたが、一四の諸州において麻薬取引組織が存在することや、警察、司法、政治家が関与する疑惑も明らかとなっている。これまでの調査で疑惑のある民間人、政府関係者として既に六〇人あまりがリスト・アップされている。政治家の関与としては、既にアクレ州出身の連邦下院議員が罷免された他、北部諸州での州議会議員の関与が発覚している。
ところで、麻薬関与の疑惑は現職の国防大臣にも及び、かつて弁護士時代にコカ・ペースト輸送犯を弁護した疑いが発覚している。さらに九九年一二月には、二〇年以上にわたりこの国防大臣と緊密な関係にある補佐官が麻薬犯罪者の弁護活動をしていた疑いが明らかとなり、麻薬調査委員会が補佐官の銀行口座などの立ち入り検査を決定している。
こうした事態に対し空軍総司令官が補佐官を批判するなど、大統領府は一時混乱した状況となったため、大統領が急遽補佐官の罷免と総司令官の解任を決定するなど、事態の収拾に追われることになった。
この他、スポーツ・観光省大臣がマネーロンダリングを黙認していた疑いも取り沙汰されている。ブラジルのマネーロンダリングは麻薬取引だけでなく横領資金、法人の不正所得などを含めると三〇〇億ドルに達するとされ、既に疑いのあるカンピーナス市の為替取引業者や銀行などの立ち入り検査が始まっている。
マネーロンダリングは海外居住者の特別勘定として認められているCC5と呼ばれる勘定を通じてなされることが多いが、CC5は海外資金取り入れの重要な窓口でもあり、これを廃止するのは困難である。
軍部への要請
麻薬取り締まりは主として連邦警察の管轄にあるが、ベージャ誌によると担当している警官は千人、航空機四機、船舶六隻に過ぎず、明らかに麻薬組織の武力に劣っている。また、取り締まりに必要な専用の予算もない。さらに、よりやっかいな問題は、連邦警察内部が麻薬取引に関与している点である。かつて司法の許可のもとで押収された証拠のテープが連邦警察の中で紛失したことがあった。
このため麻薬調査委員会は、麻薬取り締まりと国境線監視のために軍隊の派遣を要請している。しかし、これまで軍部は情報収集や訓練が十分でないことを利理由に、麻薬取り締まりは職務ではないとの明確な立場をとってきた。だが、ブラジルは麻薬の主要中継基地であるため国際社会からの風当たりは強い。
九九年一一月に米国の国防長官コーエンがブラジルを訪れたときには、ブラジルの軍部の麻薬取り締まりへの参加が話題になったとされる。コロンビアのゲリラがコロンビアのコカ生産地である国境地帯を制圧しており、米国へのコカイン輸出がこうした地帯を経由していることは明らかである。にもかかわらずブラジルとコロンビアの広大な国境地帯が、レーダーも配置されずほとんど監視されていないことを米国は問題視しているのだ。
今後、麻薬調査委員会がどのていど政治家、警察、判事などの関与を明らかし、どのように軍部が麻薬組織の掃討に関わるのであろうか。ブラジルでの麻薬戦争は始まったばかりである。たんに麻薬組織のシッポのみの追求で終わるのか、さらに多くの重要人物を巻き込むのか、国際社会にとっても看過できない問題となっている。