通貨危機から回復するブラジル経済
神戸大学経済経営研究所教授 西島章次
通貨危機とその後
ブラジルでは、アジア諸国、ロシアと続き、昨年一月に通貨危機が発生した。資金流出が四〇〇億ドルに達し、一時は為替レートが八〇%近くも切り下がるなど、経済は大きく混乱した。このため、深刻な景気後退やインフレの再燃、近隣諸国への通貨気危機の伝播が危惧される事態となった。
しかし、当初マイナス四%前後と予想されていた九九年の成長率は、結局一年を経て、プラス〇・八二%であった。しかも、九九年の第4四半期の対前年比は三・一%と好調で、今年は四%の実質成長率となると予想されている。
一方、心配されたインフレも、消費者物価でみて八・九四%と、IMFと合意した目標値の範囲内に収まっている。通貨危機発生直前と比べ、現在でも四〇%近い切り下げとなっていることを考慮すると、極めて低いインフレ率である。
また、資本流入の回復も目覚しい。対外借入れは依然として純流出であったが、証券投資が純流入に転じ、とくに通貨危機にもかかわらず直接投資が三〇〇億ドル近くに達したことから、九九年の資本収支は一六五億ドルの純流入となっている。
九九年は、民営化がらみで九〇億ドル前後が流入しているが、こうした多額の直接投資の受け入れは、米国、中国、英国に次ぎ世界第四位に位置し、ブラジルの対外的な信任の強さを示している。近年は、工業部門のみならず、通信、金融、電力、サービス部門への直接投資が急増している。
急激な回復の理由
通貨危機に直面した多くのアジア諸国とは対照的に、ブラジルの通貨危機の影響が軽微であり短期間に順調な回復を見せたのは、ブラジルのファンダメンタルズがアジアほど脆弱ではなかったからである。
すなわち、@経常収支赤字はGDP比で四・四%前後とそれほど深刻ではなく、しかもその七五%が直接投資によってカバーされていたこと、A通貨は過大評価の基調にあったが徐々に是正されていたこと、B他の通貨危機を経験した諸国と異なり外貨準備が枯渇する前に変動相場に移行したこと、などである。
しかし、より重要な要因は、ブラジルの金融・銀行システムの健全性が相対的に高かったことである。既にブラジルでは、九五年から銀行システムの再編が進み、厳格なプルーデンス規制の導入などによって、銀行システムはかなり健全化していたといえる。
通貨危機は一般的に、高金利政策や対外債務の返済負担増によって民間の財務状況を悪化させ、銀行部門の弱体化をもたらすが、金融システムが相対的に健全であったため、アジア諸国で見られた通貨危機→金融危機→経済破綻というシナリオを回避することが可能であった。
また、ブラジルの場合、特筆すべき点は、為替インデックス付きの国債保有によって為替リスクへのヘッジが可能であったことである。ブラジルでは九一年以来、九九年の通貨危機までドル・タームでの利子率に内外格差を設定し、海外資金の取り入れの促進を図ってきた。このため、銀行セクターの純対外債務は九八年末には五二七億ドルに達していた。
しかし、ブラジルの銀行部門は対外債務に匹敵する為替インデックス付きの国債を保有しており、現実には先物市場でのヘッジとともに、為替切り下げによる損失を回避したとされている。
今後の課題
だが、為替インデックス付国債の存在は、国内通貨ではかれば切り下げ分だけその額面が増加するため、同時に債務残高をGDP比で七%近くも高めてしまった。他方、利子率は通貨危機当初の年率四五%から現時点の一九%まで低下しているとはいえ依然として高い水準で、高利子率と為替切り下げが名目の財政赤字を悪化させている。
このため、九九年度はIMFとの合意事項である国債利払い・為替変動を含まない財政収支(一次収支)は、GDP比で三・一三%の黒字を達成したが、利払い・為替変動を含む名目収支はGDP比で一〇%の赤字となっている。
危機の後、様々な政府支出の削減、税制改革が実施されており、また今年二月には「財政責任法」を可決し、これまで政権末期に連邦、地方政府が財政支出を拡大させてきた悪弊を防止することが可能となったが、財政健全化には多くの課題を残している。
この点に関し現在問題となっているのが、五月一日からの施行を予定している最低賃金の改訂である。ブラジルの最低賃金は世界的に見ても低い水準にあり、改善を求める社会的圧力は強い。経済が好調となるとともに最低賃金をめぐる政治的攻防が激化している。
行政府は新しい最低賃金を月一五〇レアル(約八八ドル)とし、四月に暫定令で交付したいとするが、一七七レアル(約一〇〇ドル)を主張する立法府と対立している。行政府としては、最低賃金の引き上げは公務員賃金や社会保障支出をも引き上げるため、今年度のIMFとの一次黒字の目標(三・二五%)やインフレ目標(六%)の達成が困難となることを懸念しているのである。
ブラジルにとって、今後も通貨危機から順調な回復過程を持続するには、財政改善を一層進展させることが最大の課題となっている。