再び動揺し始めたラテンアメリカ経済
神戸大学経済経営研究所教授 西島章次
今年に入り急速にラテンアメリカ経済の不透明感が強まっている。今年度の経済成長率は多くの国でマイナスと予想されており、アルゼンチンの三%減、ブラジルの一%減、ベネズエラの六・五%減、コロンビアの三%減、エクアドルの六%減など、昨年までの良好な経済実績とは大きく様変わりしている。
現在の景気後退が、短期的な現象として終息するか長期的に継続するかは、今後の対外的環境の動きと国内の経済改革の進展に依存している。
対外的脆弱性
九〇年代のラテンアメリカ諸国は経済改革を果敢に推し進めてきたが、対外不均衡は解消されず、依然として多額の海外資金に依存したままである。このため、アジア、ロシア、ブラジルと通貨危機が続き、ラテンアメリカへの資金流入が先細るとともに景気の反転が明確となってきた。
ラテンアメリカ諸国は、高金利、財政緊縮政策によって国際金融市場の信任を回復しようと努めているが、資金流入が回復しないまま景気後退が深刻化しているのが現状だ。IMF(国際通貨基金)の予測によると、エマージング・マーケットへの今年度の海外資金流入は、ピークであった九七年の半分程度となる予想されている。
さらに、九月二六日にはエクアドルがブレイディ債の利払停止を発表したが、部分的にでもブレディ債の債務不履行は一八ヶ国中で初めてであり、資金流入がいっそう厳しくなることが懸念されている。
通貨危機の影響に追い討ちをかけているのが、ラテンアメリカの主要輸出品である銅、鉄鉱石、小麦、コーヒーなどの一次産品価格の低迷である。例えば、銅価格はピーク時九五年の一ポンド一・〇三ドルから今年前半の〇・六八ドルにまで急落し、チリの輸出収入に占める銅の割合を、四五%から三五%に低下させている。
アルゼンチンも交易条件の悪化は深刻で、今年前半の輸出数量は三%の増加であったにもかかわらず、輸出額は一二%の減少となった。
経済的危機は政治的状況にも影響し、いっそう混迷の度合いを深めている。コロンビアでは戦後最大の経済危機に直面し、既に国土の半分近くを支配する左翼武装ゲリラが勢力を拡大し、テロなどの社会的不安が深刻化している。このため、ペソ売りが加速することになり、九月二七日には変動相場制への移行を余儀なくされた。
ベネズエラでは、チャベス大統領が七月の制憲議会選挙での圧倒的勝利を背景に、経済自由主義に批判的な政策をとる可能性が高くなっている。原油価格の改善という好材料(九八年一二月のバレル六・五ドルから今年九月の一八・五ドル)があるものの、政治的不信の中でポピュリスト的な大衆迎合政策がとられれば、いっそうの経済的混乱は避けられない。
貿易摩擦
経済不振のなかで新たに生じた問題は、ブラジルとアルゼンチンとの貿易摩擦である。保護主義の復活は両国が進めている経済自由化への大きな障害となるだけに、看過できない問題である。
今年に入り、景気後退を反映して両国間の貿易は著しく収縮し、八月までの両国間の貿易は二八%近く低下した。しかし、一月のレアル切り下げにより、繊維や履き物などの特定産業でブラジルの対アルゼンチン輸出が急増しており、履き物は今年一月から八月の期間に実に六六%、繊維製品は三八%の増加となっている。
このため、アルゼンチンでは貿易制限措置として、四月の鉄鋼製品に対する課徴金、六月の繊維製品に対する数量割当て、八月の履き物輸入に対する事前許可制などの実施に追い込まれた。
当然、ブラジルはこうした措置に強く反発し、九月二〇日にはアルゼンチンからの輸入品への優遇措置の撤廃を発表。繊維、靴、自動車、化学製品など四〇〇品目を対象とし、これまでメルコスルの取り決めによって実施されていた自動的な輸入許可の発行を停止することとなった。
アルゼンチンはブラジルの突然のレアル切下げを問題とし、ブラジルはアルゼンチンの構造調整が不十分であると非難するなど、一時は貿易摩擦をめぐる対立が深刻化する様相を呈していた。しかし、九月末になって事態は好転し、両国で履き物輸入に対す貿易制限措置について協議がもたれ、今年一二月末までに一七〇万足、来年前半は四四〇万足で合意している。また、その他の輸入制限措置についても協議がなされており、当面は両国間の貿易摩擦は沈静化する見通しである。
だが、両国の間で生じた保護貿易政策の危険性が真に消え去るには、両国の経済回復を待たねばならない。現在のラテンアメリカ諸国は、外資依存と一次産品輸出依存という対外脆弱性、経済自由主義がもたらす勝者と敗者の対立を背景とする政治的不安定性を内包し、今後も経済的、政治的動揺は不可避であるといえる。こうした状況下で、政府の介入主義やポピュリズムへの揺れ戻しがあれば、長期的な経済停滞が再来する危険性をはらんでいる。(10月4日記)