景気後退を余儀なくされるラテンアメリカ経済
神戸大学経済経営研究所教授 西島章次
一九九〇年代に入り新たなエマージング・マーケットとして目覚しい経済成長を見せていたラテンアメリカ諸国も、今年はマイナス成長が避けられない状況である。ラテンアメリカ全体の経済成長率は九七年には五・二%と高い水準であったが、昨年は二・一%に低下し、今年の大方の予測はマイナス一・五%前後である。
こうした景気後退にはブラジルの通貨危機が一つの背景となっている。ブラジルでは今年一月に通貨危機が飛び火し、レアル相場は昨年の一ドル=一・二レアル前後の水準から、一時は二・二レアルまで切り下がるなど乱高下が続いている。現在は一・七〜一・八レアルの水準をどうにか維持している状況だ。
通貨危機後のレアル安定化のための基本政策は、財政緊縮化と高金利政策である。今年になってIMFと新たに合意されたプログラムによれば、財政は支出カットと増税によってGDP比で三・六%の改善が義務付けられている。また、現在の基準金利は年率で四五%に達している。こうした緊縮政策によって、今年のブラジルの実質成長率予想はマイナス四%〜五%と厳しいものである。
ラテンアメリカへの影響
まず、メルコスール諸国への貿易を通じる影響が危惧される。アルゼンチンは今日では輸出の三〇%近くがブラジルに依存していることから、ブラジルの為替切り下げは大きな打撃となる。とくにブラジルへの輸出依存度の高い、自動車・同部品、石油製品、薬品、農産品への影響が深刻だ。アルゼンチンからの報道によると、レアルが一ドル=一・二のレベルならアルゼンチンの今年の実質成長率は二・五%、一・七五ならマイナス一%、二・〇ならマイナス三%となると予想されている。
さらに、レアル切り下げはコーヒー、大豆、砂糖などブラジルの主要輸出農産物の競争力を高めるため、既にこれら産品の国際価格が低下傾向にあり、競合する輸出国にとって不安材料となりつつある。しかし、メルコスール以外の諸国への貿易を通じる影響は限られている。
ラテンアメリカ諸国にとってむしろ重大な問題は、ブラジルの通貨危機によって国際金融市場へのアクセスが困難となり、資金流入が大きく減少すると予想されることである。エマージング・マーケットとしてのラテンアメリカ諸国の信任が低下しており、IIF(国際金融機構)の予測では、ラテンアメリカ地域への資本流入は、九八年の八三〇億ドルから九九年には五二〇億ドルへと大きく低下するとされる。また、ユーロ・ボンド市場でのラテンアメリカ諸国に対するスプレッドが拡大傾向にあり、海外資金取り入れのコストが高まっている。
海外資金流入の低下は経常収支赤字の削減を不可避とし、国内経済を引き締めなければならない。とくに、経常収支赤字と債務支払い額が大きく、今年の資金流入必要額が大きいアルゼンチン、コロンビア、ペルーなどではブラジルとならび、厳しい経済抑制に迫られている。
IMFを主体とする危機管理の限界
通貨危機に陥った国に対するIMFの伝統的な処方箋は、財政緊縮と高金利政策である。だがブラジルの場合、このような処方箋に問題がないわけではない。現在のブラジルの政府債務残高はGDPの約五割に達している。そのうち、約六割が変動金利条項付きの国債であり、約二割がドルにインデックスされた国債である。しかも償還期間が一年未満のものが大部分を占めている。高金利と為替レートの切り下げは国債の利払い負担を高め、必然的に財政赤字を増大させる。
現に、昨年度は予定されていたGDP比で四%の財政赤字が、後半からの高金利によって実に八%にまでジャンプしている。一方で極めて厳しい財政緊縮に努力しながら、他方で景気後退による税収低下と高金利政策がもたらす利払い負担増によって財政赤字が拡大するという矛盾を抱えている。万一、財政赤字が予定通り縮小しなければ国際金融市場の信任を回復することは困難である。
いま一つの懸念は、インフレの再燃である。レアル切り下げは輸入財価格の上昇と便乗値上げを誘発し、既に二月のインフレ率は四・四四%となっている。また、五月一日に最低賃金が改訂される予定であるが、景気後退と失業の増大、インフレの再燃を理由に賃金インデクゼーション再開の要求が強まりつつある。
賃金インデクゼーションの再開は連立政権内部でも大きな声となりつつあるが、賃金インデクゼーション再開は、賃金・物価のインフレ・スパイラルをビルト・インすることを意味する。インフレが再燃すれば国際金融市場からの信任回復はいっそう困難である。いずれにせよ、IMF主導によるブラジルの経済運営には多くの困難が予想され、ラテンアメリカ経済にとって愁眉のもととなっている。