通貨防衛の正念場を迎えたブラジル

神戸大学経済経営研究所教授 西島章次

昨年のアジア諸国に続き、今年夏にロシアを襲った通貨危機は、中南米のエマージン・マーケットに触手を伸ばそうとしている。ブラジルでは、八月の一ヶ月間にサンパウロの株式市場で株価(BOVESPA)が三七%暴落し、ネットで一二〇億ドルの外貨流出となった。九月に入っても資本逃避は止まらず、第一週だけで六七億ドルが失われ、株価も乱高下を繰返している。このため、九月四日にはムーディーズがブラジルのレーティングをベネズエラ、ニカラグア、パナマと同列の水準にまで格下げしている。

ブラジルへの通貨アタック

ブラジルは、九四年末のペソ危機、昨年一一月のアジアの通貨危機と、どうにか水際で通貨危機を防いできた。ブラジルでは九四年のレアル計画でそれまでの高インフレが沈静化し、エマージング・マーケットとして大量の外資が流入している。だが、レアル計画が事実上のドル・ペッグ政策であることと、為替の過大評価が貿易収支の赤字を拡大してきたことから、投機アタックの対象となっているのである。

今回の危機は最も深刻である。昨年のアジア危機では一〇月と一一月で一〇〇億ドルの資本逃避があったとされるが、今回は八月初めから九月一七日にかけて二七〇億ドルの純流出となったと報道されている。資本逃避の形態は、大部分がポートフォリオ投資で、外国人投資家による株式やレンダ・フィクサと呼ばれる確定利率付きファンドの引き出し、銀行借入の返済、外国で起債した社債などの買い戻し、多国籍企業の利益送金、個人送金などであり、公認の為替市場、ヤミ市場を通じて流出している。

すでに短資の大部分が流出したとの観測もあるが、中央銀行の高官の談によると、レンダ・フィクサに三〇億ドル、株に一〇〇億ドル、銀行借入れの前倒し返済に二〇億ドルなど、最大限で一五〇億ドル程度の短期資金が今後も流出する可能性があるとされる。ブラジルの外貨準備は、今年四月末に七四七億ドルのピークとなった後、九月二一日には四八〇億ドルにまで激減している。さらに一五〇億ドルが流出すれば三〇〇億ドル台となり危険水域に入る。

政府は緊急対策として、九月八日に今年度支出を四〇億ドル削減する緊縮財政策と、一〇日に基準金利を年率で四九・七五%に引上げる発表をしている。だが、四九・七五%という異常に高い金利は深刻な景気停滞が危惧される。既に自動車産業では一時的な生産停止に追い込まれた企業が出ている。

また、高金利は巨額に累積した国債の支払い負担を増加させるという問題がある。中央銀行の発表によると、今回の利上げによって今年の財政赤字が七・三%に達する見込みで、こうした状況を市場がどのように判断するかは不明確である。問題は、高金利と緊縮財政だけで危機を乗り切れるかどうかである。

苦渋の選択を迫られるブラジル

 九月に入り、ブラジルがIMFに緊急支援を要請するとの観測が出てきている。既に水面下で交渉がなされており、日米欧の参加のもと二〇〇〜三〇〇億ドルの支援策が一〇月四日の大統領選挙前にまとまるとの報道がなされている。

しかし、そもそもブラジルはIMFとの相性が悪い。八〇年代の債務危機のとき、IMFと債務返済政策を合意したが、結局八七年にIMFと訣別し債務不履行宣言をおこなった経緯がある。ブラジルではIMFから拘束されることが政治的に支持されず、IMFとの合意に基づく緊縮政策が社会的に受け入れられなかったからである。

今回もIMFの救済を受け入れれば、財政の厳しい緊縮化を押し付けられる可能性が高い。もし救済の条件として為替切り下げが要求されれば、現在一四〇〇億ドルを超える対外債務を抱えている民間の企業や銀行にとって自動的な債務返済負担となる。大統領選挙との兼ね合いもあり、ブラジルが国民に不人気なIMFの救済を求めるとは考えにくい。

しかし、アジア諸国の為替切下げによるブラジルの相対的な競争力の低下、一次産品価格の低迷という環境のなかで、激しい通貨アタックにさらされ通貨防衛が困難となれば、経済危機とインフレ再燃という事態も予想され、背に腹は替えられぬという事情もある。他方、米国は中南米向けに銀行貸出しだけで六三四億ドル(九七年末)の残高があり、IMF救済を実現したいところである。

今後のシナリオとして以下の二つが考えうる。一つは、緊縮財政、高金利がもたらす景気の後退に耐え、どうにか持ちこたえるケースである。この場合、外資の流出入に対し一時的な制限がとられる可能性がある。また、ヘッジ・ファンドの規制など、国際金融システムにおける新しい秩序形成への合意が助けとなる。

いま一つは、IMFの救済を受け入れるケースである。この場合、いっそう厳しい緊縮財政が要求され、国内の反発が高まることは必至である。また、為替切下げが伴えばインフレ再燃が懸念され、切下げなしの場合は為替切下げに期待される調整を国内景気の後退で実現しなければならず、徹底した景気抑制策が要求されることになる。ここに、ブラジルが直面するジレンマがあるといえる。

いずれにせよ、ブラジルの通貨防衛はまさに正念場であり、目が離せない状況である。