ブラジルは通貨危機を回避できるか
神戸大学経済経営研究所教授 西島章次
近年のブラジル経済はエマージング・マーケットとして脚光を浴び、とくに今年に入ってからは株式市場が活況を呈していた。しかし、グローバル化した金融システムのなかで、アジアの通貨危機の影響は避けられず、一〇月だけでサンパウロの株価指数は三一%も急落し、また香港ショック後は九〇億近い外貨が流出した。
ブラジルにおいても実質的にドル・ペッグ制が実施されているため、投機アタックによる通貨危機が強く懸念される状況となっていた。しかし、IMFに駆け込むことなく水際で通貨を防衛しそうである。
通貨の防衛
九四年七月のレアル計画以来、ブラジルでは一レアル=一ドル近辺で為替レートを維持してきたため、為替レートが過大評価となり対外収支が悪化していた(今年の経常収支赤字は一〇月までに三九〇億ドル、GDPの四・三%)。このため、為替レートの切り下げ予想に基づくドル投機に見舞われ、香港ショックの後、中央銀行は約八三億ドルの介入を余儀なくされている。
こうした投機から自国通貨を防衛するために、まず政府は一一月一日に公定歩合に相当する基準金利を一挙に二倍へと引き上げた(年率で二三%から四六%)。しかし、金利の引き上げだけではレアル防御の手段としては不十分であるとみなされ、株価の低下は止まらなかった。ブラジルでは、抜本的な財政健全化が遅れており、いずれ為替レートの維持が続けられなくなると市場は判断しているからである。メキシコ、タイ、香港いずれのケースも、為替レートがドル・ペッグされていたという共通点がある。
切り下げ予想が高まれば、海外の投資家はドル価値での資産保全のために海外に逃避し、国内の投資家は先物為替への投機に走り、いっそう切り下げ圧力を強める。このため、政府は十一月十一日にパコッテと呼ばれる五一項目に及ぶ緊急財政健全化政策を発動することとなった。
所得税の引き上げ、公務員の整理、輸入制限、石油価格の引き上げ、中央政府・地方政府の支出削減などであり、マクロ的観点からは財政赤字を縮小して貿易収支を均衡させ、海外資金流入の観点からは海外投資家の信頼回復を目指すものである。
現時点では、こうした政策的対応によって市場は落ち着きを取り戻し、通貨危機の可能性はかなり低下したとみるのがブラジルでの一般的な認識である。ある意味で、これまで政治的な問題によって遅れていた行財政改革が、今度の通貨不安によって加速する契機となり、「禍転じて福となす」ブラジルのしたたかさを見せつけたともいえる。
タイとの相違点
だが、ブラジルにはタイとは大きく異なる点があった。そもそも、通貨危機が生じる一つの要因として、国内での金融不安の存在が契機となることが多いが、既にブラジルでは金融システム健全化のための調整がほとんど済んでいることである。
レアル計画実施後、インフレが終息したためにフローティング利益を失った銀行は、貸出し業務で利益を得ようと急激な貸出しを行ったが、結果的に不良債権が膨らみ金融不安が生じていた。しかし、財務状況が深刻化した民間銀行の整理と淘汰、ブラジル銀行の債務処理と公的銀行の民営化などが実施されており、すでに銀行セクターはかなりの程度に健全化しており、投機アタックに抵抗力を有していた点が重要である。
先月二六日には僅かであるが利下げがなされ、中銀のドル買い戻しも三五億ドルに達し、市場の信頼も回復し始めている。したがって、日本や韓国など他国で深刻な事態が生じない限り、通貨危機の可能性は遠のいたといえる。さらに、電話公社、電力会社など民営化による資金流入の可能性が高いことも好材料である。実際、危機の最中に実施されたサンパウロ電力公社(CPFL)の民営化には最低価格を七〇%も上回る価格で落札されている。
残された問題
しかし、高利子率と財政緊縮によって、深刻な不況というコストを支払わなければならない。これまでブームであった自動車産業では生産縮小を相次いで発表している。また、景気停滞が税収を低下させ、高利子率が国債の利子返済負担を増幅させるため、財政収支は改善しないとの観測もある。同時に、所得税引き上げなど不人気な政策が改正される可能性も否定できない。来年一〇月の大統領選挙を控え財政節度が崩れれば、再び為替切り下げ予想が高まり、通貨アタックの懸念を払拭できない。
だが、ブラジルでは、再び通貨不安が生じたときに韓国のようにIMFに救済を求めることは考え難い。IMFから様々に拘束されることが政治的に支持されないからである。また、救済の条件として要求される二〇%程度の為替切り下げは、現在千億ドルに達する対外債務を抱えている民間企業に自動的に二〇〇億ドル相当の債務増加をもたらすからである。
今回の通貨不安で、グローバル化した資金の流れに翻弄されながらも、自国通貨を防御する方法を学んだことの意味は大きいが、IMFからの救済に頼ることなく自国通貨を防衛するには、インフレを再燃させることなく、いかに為替レートを切り下げていくかが最大の課題となることは明らかである。