利害が反した「米州自由貿易」会議

神戸大学経済経営研究所教授 西島章次

一九九〇年代に入り、ラテンアメリカでは地域主義(リージョナリズム)が急速な進展を見せている。既存の地域統合の活性化のみならず、NAFTA(北米自由貿易協定)、MERCOSUR(南米南部共同市場)、多数の二国間協定など、新たな地域統合の試みが始まっている。いまや、ラテンアメリカでは三〇近い地域統合の枠組みが存在し、キューバを除き何らかの地域統合に関係しない国は存在しないといわれるほどである。

そのなかでも、最も野心的で、実現された場合に極めて影響力が大きと考えられるのが、南北アメリカにまたがり三四カ国で構成されるFTAA(米州自由貿易地域)である。一九九四年の米州マイアミ・サミットで採択され、二〇〇五年からの自由化開始のプロセスがコミットされている。去る五月中旬に、ブラジルのベロ・オリゾンテでFTAA閣僚会議が開催され、今後のFTAA形成に向けて具体的な協議がなされた。しかし、会議はFTAA形成に向けての着実な前進でもあったが、同時に、加盟国間での利害対立が鮮明となった会議でもあった。

米国とメルコスール諸国の対立

一九八〇年代までの米国の通商戦略は、GATTやWTOなどの場面でリーダーシップを発揮し世界の貿易自由化を促す多角主義と、特定の国に対して強い交渉力をもって通商問題を解決する二国間主義が基本であった。しかし、九〇年代に入り、NAFTAをはじめとして、とくにラテンアメリカ地域への地域主義を強めている。

米国にとってのラテンアメリカとは、米国の貿易収支が黒字となっている数少ない地域であること、また、ラテンアメリカ諸国が現在推し進めている経済改革によって輸出市場としての重要性が高まっている地域である。このため、米国は対ラテンアメリカ輸出をなんらかの地域的枠組みによって確実なものとすることが必要であり、マイアミ・サミットで米国の主導権のもとでFTAA構想が提案されたことの背景となっているのである。したがって、この度のFTAAの閣僚会議において、米国が自由化に向けての交渉を早めることを主張したのは当然のことであった。

他方、ブラジル、アルゼンチンなどのメルコスール諸国は、性急に自由化するにはまだ国内産業の競争力が十分に伴っていないことから、段階的な自由化の実施を主張している。また、メルコスール諸国は、FTAAの自由化交渉の中心課題として、むしろ米国の対ラテンアメリカ諸国への非関税障壁と、米国の農産物への補助金政策の撤廃を議論すべきであると強く主張している。

結局、会議の主たる合意内容として、自由化交渉を一九九八年三月にサンチャゴで開催される第二回米州サミットから開始すること、交渉は二〇〇五年までに終結すること、などの重要な論点が合意されたものの、肝心の自由化の方法やスピードに関しては次の閣僚会議にまで持ち越されることとなった。

メルコスールとEUの接近

ラテンアメリカ諸国の、米国に対するもう一つの批判点は、FTAA交渉のファスト・トラック権を得ないで米国政府が自由化を一括して早めることを主張している点である。米国政府が諸外国との通商交渉を進める権限はファスト・トラックと呼ばれ、議会が行政府に与える。しかし、クリントン政権はいまだこれを取得していない。周知のようにクリントン政権は、チリのNAFTA加盟に関するファスト・トラックの取得に失敗しており、チリの加盟交渉が中断している状態である。ましてや、FTAAに関するファスト・トラックの権限が付与されるかどうか、ラテンアメリカではこれを疑問視する声は強い。

こうした状況下で、米国が早期の自由貿易地域の実現を希望するのは次のような理由がある。すなわち、近年、ラテンアメリカ諸国とEUが急速に接近していることである。既に、EUとメルコスール、EUとチリの間で、将来の自由貿易協定を目指す経済協力枠組み協定が結ばれている。ラテンアメリカ諸国にとれば、たんに米国に対する新たな交渉カードを手に入れるということだけではなく、将来のFTAA形成による米国への経済的依存を避けるという意味で重要である。また、現実にも、メルコスール諸国の貿易取り引きは米国よりもEU諸国との取り引きの方が大きく、ブラジルの有力研究機関の研究によれば、FTAAよりEUと自由貿易協定を結ぶ方がメルコスール諸国にとっての経済的利益は大きいとの結果が出されており、現実的な対応であるとも言える。

言うまでもなく、米国にとればラテンアメリカとEUの接近は好ましくなく、米国の経済的影響力を維持するためには、FTAAでの早期の自由化が重要となるのである。このように、ラテンアメリカ諸国が経済改革を背景に徐々に経済的な力を強めてきたことが、米国の対ラテンアメリカ政策に強く影響し始めているといえる。いずれにしても、FTAAはそれが形成されれば、アジア太平洋地域やAPECにも極めて重大な影響を与えることが明白なだけに、今後の進展に注目しなければならない。