米国で薄れるNAFTAへの関心

神戸大学経済経営研究所教授 西島章次

NAFTA(北米自由貿易協定)は一九九四年一月一日の発足から早くも三年が過ぎた。クリントン政権は今年七月一日までにNAFTAの三ヶ年の評価報告書を議会に提出しなければならないが、米国政府がNAFTAをどのように評価するかは極めて興味深い。メキシコでは九四年末に通貨危機が発生し現在も不安定な経済状況にあることや、米国においてもNAFTAへの関心と支持が薄れつつあるからである。

メキシコにとってのNAFTA

メキシコは、政府主導の開発政策の誤りから債務危機と経済危機を経験したが、八〇年代後半より市場メカニズムに立脚する戦略へと転換し、経済自由化を推進してきた。しかし、こうした経済自由化を成功させ成長軌道に乗せるためには、貿易と直接投資の拡大が必須である。NFATAへの参加は米国市場へのアクセスの確保と直接投資の拡大を意味する。また、地域経済統合という国際的な枠組みに参加することによって、国内の経済自由化を後戻りさせないように「箍(たが)」をはめるという意味でも重要であった。

実際、メキシコの貿易の拡大は目覚しい。九三年のメキシコの対米輸出は約五〇〇億ドル程度であったが、九六年には八〇〇億ドルへと急増しており、対米輸出はメキシコの総輸出の八四%に達している。いかに、メキシコにとって米国市場が重要であるかを示している。また、直接投資も傾向的に増加し、九五年、九六年はそれぞれ八〇億ドル程度が流入している。こうした貿易と直接投資は現在のメキシコ経済の下支えとなっている。

しかし、NAFTAの枠組みにあっても、個別分野では解決されていない問題も多い。まぐろ、花、トマト、セメントなどに対して米国の輸入制限が続いており、メキシコは不満を募らせている。また、メキシコのトラック輸送も米国に乗り入れ禁止である。これらの問題は、今後のNAFTAの貿易自由化における一つの課題である。

だが、全体として評価すれば、NAFTAへの加盟は、貿易と直接投資を拡大させたこと、通貨危機とそれに続く深刻な経済停滞の影響を和らげたこと、また五〇〇億ドルに達する米国からの金融支援を可能としたという意味において、メキシコはNAFTA加盟により利益を得たといえる。ただし、サリーナス政権があれほどNAFTA加盟に固執していなければ、より適切な経済政策がとられ、通貨危機をもたらした為替の過大評価を回避できたであろうこともまた真であることに注意すべきである。

米国にとってのNAFTA

米国がNAFTAを形成した理由は、貿易自由化など地域経済統合がもたらす経済的理由もさることながら、経済統合によって国境を接するメキシコの経済発展が加速されれば、不法移民や麻薬の流入などの脅威とメキシコの政治的混乱がもたらす影響を緩和できるという政治的判断によるとされる。もちろん、三年という期間はこうした成果を期待するには短すぎるであろうが、米国にとればこれまでの成果はまったくの期待外れであった。九四年の米国への不法移民は一一〇万であったが、九五年には一三〇万人に増加したとされている。また、米国への麻薬流入の三分の二がメキシコ経由である状況に変化はない。

いま一つの米国にとって頭の痛い問題は、メキシコの混迷する政治的状況である。NAFTA発足と当時に発生したチアパス州での武装蜂起に関し、先住民組織「サパチスタ」との政府交渉は依然として決着していない。また、コロシオ大統領候補の暗殺や制度的革命党(PRI)幹事長暗殺の真相解明は依然としてなされおらず、深刻な政治的混乱が続いている。現セディージョ政権の最大の政治課題は、PRIが長年にわたり一党独裁を続けてきた政治体制の民主化にあるが、PRI保守派の政治改革への抵抗は強く、政治改革がいっそうの政治的昏迷を引き起こす可能性を否定できない。

そもそも、NAFTAを通じる自由化はメキシコの貧困問題をいっそう深刻化させるという問題を内包している。しかも、自由化政策のコストが比較的短期に現れるのに対し、その成果が出現するには時間を必要とすることから、自由化がメキシコの社会的緊張を高めることは避けられない。今後、自由化がもたらす敗者と勝者の間での政治的対立がいっそう深刻化すれば、米国内におけるNAFTA支持がさらに弱まると考えなければならない。

こうしたメキシコの政治状況の進展に対して、反NAFTAとして知られるゲッパート議員などが、NAFTAの今後の自由化交渉に対し明らかな反対運動を展開することも予想される。米国内で、NAFTAへの支持が薄れているだけに、この七月の評価報告書の内容に着目したい。