苦悩するブラジルの企業
神戸大学経済経営研究所教授 西島章次
一九八〇年代までのブラジルは、政府主導型の開発政策に基づき、国内市場の保護と多数の政府系企業の設立によって国内産業を育成してきた。しかし、その結果、ブラジルは多様な産業を持つことは可能となったが、多くが非効率な産業であり、ブラジル経済をダイナミックに牽引するにはいたらなかった。
だが一九九〇年のコロル政権以来、それまでの保護主義からネオリベラリズム(新経済自由主義)へと転換し、積極的に自由化、民営化などの改革を推し進めている。また、九四年七月からは、インフレ抑制のための「レアル計画」が実施され、さしものブラジルのハイパー・インフレも影を潜めている状況である。対外的にも九五年一月からメルコスル(南米南部共同市場)が発足し、アルゼンチンなどへの貿易が急激に拡大している。今や、ブラジルは、東アジアとならび「エマージング・マーケット」として世界の注目を浴びている。
急激に進む産業再編成
しかし、対外的にも国内的にも自由化が進展し、これまでの高インフレに慣れきったブラジルの企業は厳しい環境におかれている。もともと国際競争力をもたない繊維・雑貨などの産業のみならず、電気機器、食品、自動車部品などにおいても、既にかなりの企業淘汰が進んでいる。このため、著名な企業までもが、外資系企業に売却されるケースが相次いでいる。最も顕著なのが自動車部品産業で、自動車部品工業連盟の調べでは、現在一三〇〇余りの自動車部品製造企業が存在するが、二〇〇〇年には三五〇社にまで低下すると予想されている。ホンダ、ルノー、メルセデスなどの進出が明らかとなったことも、部品産業の再編成にいっそうの拍車をかけている。
銀行部門のリストラも急激である。かつては高インフレのもと、特別の企業努力無しに高い利潤を上げていた銀行部門であったが、インフレの終息にともなう収入減と不良債権の増加によって業績が急速に悪化してしまった。有力民間銀行であるエコノミコ銀行、ナショナル銀行、バノルテ銀行などが経営破綻し、他の民間銀行に吸収されたり身売りしたりしている。また、業界第三位のサンパウロ州立銀行や中堅のリオデジャネイロ州立銀行は現在では中央銀行の特別管理下にあり、その処理をめぐって財政資金を投下することとなり物議をかもしている。
去る五月二二日には、自由化による競争激化と厳しい引き締めにがもたらす経営環境の悪化に耐え切れず、二五〇〇人以上の企業家がブラジリアに集まり、財政改革の早期実現を政府に訴えるという前代未聞の出来事も生じている。これは、財政改革が進展しないために、高利子率、為替の過大評価、金融的引き締めに依存する経済政策が実施されているに対して、サンパウロ工業連盟の企業家たちが抗議行動を起こしたものである。現在、多くの企業がリストラに追い込まれ、その結果サンパウロの雇用指標は、一九九六年の三月には前年比で一五・八%の低下となっており、とくに縫製・靴産業では三二・六%、繊維産業では三〇・一%の低下と深刻である。
鍵となる財政改革
しかし、問題は、ここで政府は手綱を緩めることができないことである。レアル計画は、為替レート固定化することによってそれに諸価格を釘付けさせるというインフレ抑制政策であるが、このような政策を長期的に持続させるためには、需要のコントロールが必須だからである。さもなければ、国内価格と固定化された為替レートとの乖離によって過大評価が生じ、これが深刻化すれば為替レートの固定化を維持できなくなる。為替レートの固定化を止めることは、インフレ抑制を放棄したことを意味する。現在は、主として高金利政策によって需要のコントロールを行っているが、高金利は国債の利払い負担を高め、いっそうの国債の累積をもたらすなど、決して望ましいのものではない。
結局は、安定化政策を持続するには財政改革が必要となる。だが、財政改革を実現するためには、年金制度、行政改革、税制改革など、その多くが憲法の改憲を必要としており、必ずしも容易ではない。ようやく、去る五月に社会年金制度の改憲案が可決されたものの、かなり修正された形であった。与党連合のなかでも利権がからみ、政治的連合がうまく機能しないしないのが現実である。自由化によるリストラは、市場メカニズムに基づく経済運営にとって不可欠であるが、急激な経済環境の変化にブラジルの企業は生みの苦しみを味わっているといえる。