急激な自由化が見せた脆弱な経済体質

   神戸大学経済経営研究所教授  西島章次

 一九八〇年代に超インフレ、対外債務などの深刻な経済危機に直面したラテンアメリカ諸国は、九〇年代は一転してネオリベラリスムと呼ばれる経済自由化を推進している。インフレは抑制され、いまや新たな成長センターとして注目されている。しかし、その一方で急激な経済自由化であるが故に、極めて脆弱な経済体質をあわせ持っていることも事実である。ひとたび脆弱な経済がほころび、その傷口が広がると、深刻な危機がもたらされる。昨年末から国際金融市場を騒がせたメキシコの通貨危機は、現在のラテンアメリカがはらむ潜在的リスクの典型的事例である。

経済安定化の脆弱性
 経済自由化の成否は、経済安定化に依存する。再びインフレとなれば市場の信頼は喪失し、経済自由化の前提条件が崩れる。ブラジルでは、昨年七月のレアル計画により年間で二〇〇〇%を超えていたインフレは鎮静化している。しかし、為替レートの固定化に依拠するインフレ抑制政策だけに、為替レートの過大評価と貿易赤字の増大は危険信号である。外貨準備が潤沢でなくなれば、為替レートの切り下げが避けられずインフレが再燃する。今後は憲法改正、民営化などに基づく財政の抜本的な調整を実現しなければ、インフレ抑制の維持は困難である。しかし、石油公社ペトロブラスの民営化をめぐり本年五月には激しいストライキが勃発し軍隊が介入するなど、財政改革は予断を許さない状況である。
 アルゼンチンも同様に為替レートの安定化に依拠したインフレ抑制政策を続けている。しかし、九四年の貿易赤字は九三年の三六億ドルから五八億ドルへと急増しており、またメキシコの通貨危機の影響を受けて資本逃避が深刻化し、外貨準備が激減している。国内では深刻な流動性不足が生じるなど、一時はアルゼンチンでも通貨危機が発生すると危惧されたが、五月の大統領選挙でメネム氏が再選されたことや、国際金融機関からの一二六億ドルの調達もメドが立ち、現在は小康状態を保っている。しかし、潤沢な外貨準備がインフレ安定化の条件であるという構図には変わりなく、今後の資本流入や貿易収支の動向に依存している。
 メキシコにおいても、今回の通貨危機によって為替レートは八〇%近くの切り下げとなり、輸入インフレの脅威にさらされている。すでに緊急経済対策が発表されているが、経済抑制や賃金抑制など、相当に厳しい政策を実施しなければインフレ克服は困難である。だが、南部チアパス州で蜂起したサパチスタの問題など政治的に混迷化しており、安定化政策にも陰りが見え始めている。

資本流入依存の脆弱性
 九〇年代のラテンアメリカ経済の回復をもたらした直接的な要因は、市場経済化の結果というより、実は大規模な資本流入にあった。九三年には地域全体で六八九億ドル(対前年比で四一%増)の流入があり、昨年の九四年もかなりの額が流入したと推定されている。直接投資だけをみても、ラテンアメリカ全体で九三年には二〇〇億ドル程度に達すると推定されている。経済改革とともにラテンアメリカ経済の信頼度が回復し、投資市場としての重要性が増大したためである。このような大規模な資本流入が、ラテンアメリカの投資と消費をファイナンスし、また大量の輸入を可能とすることによって、高い成長率を持続しているのである。
 だが、貿易自由化と資本流入の拡大は、必然的に貿易赤字を拡大させ、さらにこの貿易赤字が資本流入によってファイナンスされ、いっそう資本流入に依存せざるをえない構造にある。しかし、資本流入は金融的投資にしろ直接投資にしろ、海外投資家のリスク評価に敏感に反応する。また、金利格差にも敏感であることから、とくに現在のアメリカの金利が上昇傾向にあることも考慮しなければならない。安定化政策のつまずき、政治的混乱など、何らかのきっかけでラテンアメリカへの資本流入が激減すれば、資本逃避が生じメキシコで見られた通貨危機の再発は避けられない。そうなれば、経済自由化は挫折する。

日本にとってのラテンアメリカ
 ラテンアメリカ経済の変化に対し、アメリカ、ヨーロッパ企業は迅速に対応しているが、わが国の企業は依然として消極的にみえる。八〇年代に多くの苦い経験をもつわが国の企業にとって、当然であるかもしれない。もともと欧米企業に比べラテンアメリカへの投資は歴史が浅く、既に欧米企業の支配体制が確立していることや、商慣行など日本企業にとってやりにくい地域でもあり、リスク管理などの経験や現地資本・政府とのネットワークも不十分であることは否めない。
 しかし、日本企業の消極性は、またしてもバスに乗り遅れることを意味するかもしれない。多くの不確実性をはらみながらも、アジアとならびエマージング・マーケットであることは疑うべくもない。欧米企業に比べ不利な立場にある日本企業がラテンアメリカで積極的な進出を展開するためには、まずは以上の脆弱性の十分な把握と、さまざまなリスクに対する管理能力が必要である。