レアル計画はインフレを抑制できるか
西島章次 神戸大学経済経営研究所教授
ブラジルでは、今年七月一日からレアル計画(レアルは新通貨の呼称)と呼ばれる新しいインフレ抑制政策が実施されている。ブラジルではこれまでの激しいインフレの高進に対し、一九八六年のクルザード計画以来、ブレッセル計画、夏計画、コロル計画と次々とインフレ抑制政策を実施してきた。だが、いずれも失敗に終わり、この間インフレは抑制されるどころか、ハイパー・インフレと呼べる状況となっていた。
とくに、九三年初めからのフランコ大統領政権においては、経済政策をめぐる政府内部の対立から、五カ月間で三人の蔵相が辞任するなど、経済政策に一貫性を欠き、インフレ率は九二年の一一四九%から九三年の二四八九%へと高進した。このため、九三年五月より蔵相に就任したカルドーゾを中心に、新たなインフレ抑制の試みが始まっている。とくに九三年一二月から実施された通称「カルドーゾ計画」が重要で、今回のレアル計画はこの計画の最終段階にあたる。
ちなみに、今回の計画によってこの八年間で五回目のインフレ安定化政策となるが、この間に五つの通貨が導入され、またゼロを三桁除去するデノミが四回と今回の二七五〇分の一とするデノミが一回実施されたことになる。総計で実に二七五〇兆分の一のデノミとなり、すさまじいインフレであったことが判る。
三つの段階を踏む安定化政策
カルドーゾ計画は三つのステップを踏む。第一段階は財政の均衡化である。既にこれまでの安定化政策の経験から、財政の均衡化がインフレ抑制の前提条件であることが周知となっており、まず第一段階で財政の均衡化を実現し、人々の安定化政策の信任を高めることを目的としている。
第二段階は、クルゼイロ・レアルでの価格表示と平行して、新しい価格指数であるURV(実質価値単位)による価格表示を流布させるものである。URVはドルにリンクし、常に一URV=一ドルが維持されるため、URVとクルゼイロ・レアルの関係は日々改訂される。したがって、為替レートと諸物価はほぼ等しい率で変動しているので、たとえインフレがあってもURV表示にすればほぼゼロ・インフレとなる。URV表示に徐々に移行させ、人々のインフレ期待を鎮静化させるための心理的効果をねらったものである。
第三段階は、通称レアル計画と呼ばれ、新指数URVが経済全般に普及した時点で新通貨レアルを導入し、レアルによる価格表示に転換するもの。一レアル=一URV=一ドルとし、旧通貨との交換比率は一レアル=二七五〇クルゼーロ・レアルであった。これまでのようにゼロを三つ取るといったデノミと異なる点に注意が必要である。
レアル計画の本質は、新通貨を固定化された為替レートにリンクすることにあり、アルゼンチンで実施されているいわゆる「ドル化政策」と基本的に同じである。ただし、為替レートの維持には十分な外貨の保有が条件となるが、外貨準備が九四年五月には四一〇億ドルに達しかなり潤沢あること、債務交渉の進展によって九四年四月に三五〇億ドルの対外民間債務の削減が最終的に実施されたことなど、客観的条件が整っていたといえる。
ひとまずは急激に低下したインフレ率
レアル計画実施直前の六月の時点で、インフレ率は月率で四五・二%に達していた。また、九三年七月から一二カ月間では五、二〇〇%であった。しかし、計画実施の七月には月率で六・九五%にまで急激に低下し、八月には三%前後となったと予想されている。ひとまずは成功である。しかし、今後もインフレ抑制を続けるには多くの問題点がある。
第一に、レアルによるインフレ抑制政策は基本的にドル化政策であるが、アルゼンチンのペソのように厳密にドルにリンクされていない。ブラジルでは通貨発行と外貨準備に厳密な関係はないし、レアルの対ドル・レートも数カ月後に調整されると表明されている。このような柔軟性は、為替レートの固定化ができなくなった時が安定化政策の崩壊を意味するというアルゼンチンの硬直性のデメリットを避けることを意図しているが、他方で、ドル化政策の曖昧性は政策の信頼性の形成を阻害するというリスクを負っている。
第二は、総選挙の影響である。財政均衡化は安定化の前提条件であるが、厳しい緊縮化を盛り込んだ九四年度予算が、総選挙(一〇月三日)を前にして強い支出圧力によって遵守されない可能性はかなり高い。また、次期大統領に誰がなるかが、計画の長期的な成否にとって決定的に重要である。最も有力な候補は、これまで圧倒的な支持を得ている労働党のルーラ候補と、既に大統領に立候補するために蔵相を辞任しているカルドーゾ候補である。ルーラ候補は、貧困、教育、農地改革、対外債務政策の見直しなどを政策目標として掲げているが、財政均衡化、民営化、市場開放化などと逆行する立場にあることなどから、ルーラ候補が大統領に当選した場合にはカルドーゾ計画が継続される可能性は少ない。
しかし、カルドーゾ計画の成功はカルドーゾ候補に有利であるといわれている。最近の選挙調査では、五月末の時点で対立候補であるルーラ候補の支持率が四〇%であり、カルドーゾ候補のそれが一七%であったのに対し、計画実施後の八月末にはルーラ候補が二三%、カルドーゾ候補が四三%と完全に逆転している。この意味で一〇月三日の総選挙はまさにブラジルにとって剣が峰である。
サッカーのワールド・カップで優勝し、カルドーゾ計画も今のところ成功であり、ようやく明るい方向に向き始めたかのようである。しかし、インフレが短期的に抑制されたとしても、一般大衆の生活が目に見えた形で改善されなければ、時間とともに「何も変わっていない」ことに気づき、これに対する反動からカルドーゾ計画への支持が低下するかもしれない。いずれにせよ、今回の安定化政策も政治に大きく翻弄されることに違いない。