機械計算室の歴史<7>(昭和59年~の機械計算室)

分散型データベースおよび分散処理時代(昭和59~)

データ通信時代に応じ通信網制御装置NCPを装備した中型計算機HITAC M240-Dが発表されると同時にこの機種への更新を決定し、昭和58年9月に導入された。採用の理由は、分散型データベースを行える通信機能を擁するシステムであり、大型機と全く同じオペレーティングシステムで作動しうることにある。しかも最近のパソコンは、かってのミニコンよりも性能がよく、中には前機種である中型機HITAC M150にも匹適するものが出現しているので、分散処理型利用の端末としてこうしたパソコンを通信回線で接続できることである。

この最新鋭の中型コンピュータは(1)記憶の大きさが8MBであり、(2)ディクス装置の容量が635MB/スピンドル×6スピンドル=3810MBであり、(3)TSS端末が24台備わっている。この中型機はCPUのスピードでは大型機又は超大型機に劣るが、データベース機能、通信機能等では同等の機能を有し、この機能上で開発されたソフトウェアはそのまま実用的なものである。

当研究所は昭和57年に大部門制へと移行し、その1つの部門にコンピュータのソフトウェアを専門的に研究する「経営情報システム」部門があり、企業経営及び会計に関するデータ・システムの分析とその開発、経営意思決定の支援システムの開発と研究、国際諸統計とデータベースの整備がその中心研究テーマとして掲げられている。昭和49年にコンピュータが導入されて以来、常に実験の域に止まっていた研究が、10年を経て今や、実用的ソフトウェアを開発しうるに足るコンピュータと、その研究を遂行するための研究部門が整備されたのである。今日まで不可能であった研究テーマも実現可能となり、時代に魁けた研究に本格的に取組むことができるようになったのである。この分野における研究の進展は計り知れなく大きいものと期待され、またINS時代を迎え、時代的要請にも応えるものであり、社会的意義は甚大であると信ずる。

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