機械計算室の歴史<6>(昭和54年~昭和58年の機械計算室)

データベース拡充時代(昭和54年~昭和58年)

本格的なタイムシェアリング利用方式の行えるコンピュータHITAC M-150が、昭和53年末に導人された。
この新鋭機はメーカーの出荷前からその利用を決めたもので、文字通り最新鋭のコンピュータである。
採用の主な理由は、中型コンピュータでありながら大型機と同等のオペレーティングシステムで稼動し、本格的なTSSが行える点にある。
この中型コンピュータは(1)主記憶の大きさが1MB(メガバイト)であり、(2)ディスク装置の容量が100MB/スピンドル×6スピンドル=600MBであり、(3)磁気テープ装置が2台あり、(4)TSS端末が6台備わっている。また、HITAC20という最新鋭のミニコンを中型機M150に連続させている。

本格的なデータベースの作成にはデータを保存する大容量のディスク装置とデータを検索するための超高速のCPUと利用者端末が必要である。新しく導入したコンピュータではディスク容量が600MBあり、CPUの速度が0.4MIPSで中規模のデータベース作成に向いている。

BEICAバンク構築の経験を基に、本格的なデータベースシステムSECRETARYを2年がかりで完成した。
このシステムではBEICAバンクにあるすべてのデータを管理するとともに新しく拡充したデータバンクとして新SNA約10000時系列、興銀の企業財務データ約1700社400項目のデータをも管理することができる。データの修正、更新、追加等の機能のほかに、グラフ表示や初等統計計算、回帰分析なども行うことができ、これらの操作をすべて端末のディスプレイ装置から行うことができる。

IBMのTSSシステムTSOに相当するタイムシェアリング利用方式によって6台のディスプレイ端末を通じてプログラムを編集し、実行することができるようになり、データバンクの拡充とともに生産が著しく向上した。
前機種で実験したSPEEDシステムの経験を生かし、各種のコマンドプロシージァを作成し、TSSの効率的利用を計った。

前機種ではミニコンHITAC10を端末とし、端末側からデータバンクへの要求があれば中型機HITAC8350がデータを検索し、端末へ転送し、端末側でデータの加工処理を行う分散処理方式の実験を行ったが、新機種ではHITAC20をTSSの端末として利用し、中型機M150に対する要求はTSSコマンドで行い、転送されてきたデータバンクのデータや中型機で処理された結果を端末側で受けとり、端末側のディスクに保存し、端末で処理できるものは端末で処理する分散処理方式の実験を行ったこの新しい実験ではミニコンである端末が計算機本体であり、中型機が補助計算機という役割分担になっている。
ミニコンで計算できる作業はミニコンで行い、ミニコンで処理できない作業は中型機に処理させるというCPUの分散利用を行っている所に特徴がある。中型機ないし大型機を巨大な情報バンクの管理専用のマシンとし、CPUの性能を100%発揮させ、ミニコンでも処理できる作業はミニコンのCPUに委ねる、つまり価格の安いCPUに任せる。しかし、ミニコンの性能が未だ充分でなく、本格的な混合CPU利用方式はミニコン側の性能アップを待たねばならなかったが。

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