機械計算室の歴史<5>(昭和49年~昭和53年の機械計算室)

機械計算室は昭和46年設置以来各時代の先駆的な情報処理システムを設置し、それぞれに適応したソフトウェアシステムの開発とデータベースの拡充を行なってきたが昭和57年より教授のうちより機械室の主任をおくこととし、運営の強化を図り下篠哲司教授が就任していたが、昭和59年4月より定道宏教授が新しく主任に就任し、民野庄造講師、平田百合助手とともに昭和58年9月新しく導入されたHITAC-M240Dの設置により、従来よりパワーが2倍に増大し、国際経済経営データベースの蓄積とともに文献センターの特別事業としてとりあげられデータベースの構築についても積極的に支援する体制が整備されてきた。

つぎに、中型コンピュータが設置された昭和49年以来の発展と現状、さらに将来の展望をみることにしよう。

情報システム研究の幕開き時代(昭和49年~昭和53年)

当研究所に最新鋭の中型コンピュータHITAC8350が導入されたのが昭和49年2月である。この最新鋭機の特長は(1)主記憶の大きさが256KB(キロバイト)であり、(2)補助記憶としてディスク装置があり、その大きさが30MB/スピンドル×4スピンドル=120MB(メガバイト)であり、(3)磁気テープ装置が2台あり、(4)端末としてディスプレイ表示装置が1台備わっていたことである。このハードウェアの性能を活かすOS(オペレーティングシステム)には拡張DOS(ディスクベースのOS)が採用されて多人数の人がコンピュータを同時に使用することのできる多重プログラミングが可能であった。

昭和45年以来使用してきた科学計算用ミニコンピュータHITAC10に主記憶が32KBであり、補助記憶がなく、データの入力用には紙テープ装置、出力用には紙テープパンチ装置とタイプライタがあった。もちろん、OSもなくプログラムの実行開始もすべて手動作で行うものであった。研究所における経営機械化の研究に限界があったことは否めない。

最新鋭機の導入は、情報システムの研究に道を拓いた。多重プログラミング方式の特徴はOSによって複数のユーザが順番を待つことなく同時にコンピュータを利用することができ、補助記憶の存在によってプログラムやデータを保存し、必要な時に随時呼び出し利用することができることである。

云うまでもなく、最新鋭コンピュータの導入は、HITAC10では実現できなかったより水準の高い研究を行い、すでに蓄積された研究成果を継承し、更には将来を見通した新しい研究分野への基礎作りを行うという3視点に立って行われたものである。こうした研究視点に基づき、コンピュータ関連の研究グループは早々に研究プロジェクトを発足させ、導入前1年前から研究に着手した。研究プロジェクトの内容は大きく4つに分けることができる

(1)国民経済、国際経済関係のデータバンクの構築
(2)分析用応用プログラムパッケージの開発
(3)ミニコンHITAC10をインテリジェント端末とする分散処理方式の実験
(4)ディスプレイ表示装置によるプログラム編集によるTSS方式の実験

何といっても補助記憶としてディスク装置が使用できるようになった効果は大きく、念願のデータバンクの構築に着手した。当時データバンクという考えはあっても専らプログラム作成が優先した時代であり、研究所におけるデータバンクの作成は全国の大学に魅けた意欲的なプロジェクトであった。プロジェクト名はBEICA(経営・経済情報制御分析)であり、昭和53年一応の完成をみた。

データーバンクのデータ蓄積量は、国民経済関係約6000時系列、国際金融関係はIFSデータ150ヶ国約15万時系列、第1部上場企業約120企業の経営財務データであり、研究所では「BEICAバンク」と称せられている。

分析応用プログラムパッケージの開発も精力的に行われ、計量経済モデルのシュミレーションシステムとしてSTEPS、クロス集計を行うCROTAB、企業の財務データを分析するSIMPLなどが作成され、今日でも利用されている。

これと平行して非常にユニークなコンピュータの利用方式として分散型処理の実験が開始された。10年経過した今日では端末にパソコンやミニコン、あるいはコンピューターネットワークアーキテクチャとして分散処理方式は珍らしくもないが、当時はコンピュータを大型化すればすべてが処理できるという考えが一般的であり、その意味でミニコンを中型機に結んでの分散処理は将来を見通した実験であったといえる。実験を行った分散処理は、中型機にあるデータバンクのデータを中型機を通してミニコンで受けとり、ミニコン上で回帰分析や各種のデータ加工を行う。ミニコンHITAC10のために開発された中型機HITAC8350との交信システムはPUSH-COMMAND又はATLASシステムと名付けられ、研究所の刊行物等に成果が発表されている。

また、プログラムの入力は専らパンチカード方式によるのが一般的であったが、米国ではすでにタイムシェアリング方式が普及し、プログラムを端末から直接入力するカードレス方式がとられていた。しかし、我が国では特に大学においてはTSS方式を採用している所は皆無であった。そこで、TSS時代に備えてディスプレイ装置によるプログラム編集ぐらいは行なおうと試みたのが、プログラム編集システムSPEEDである。このシステムの完成により、宛名システムADDRESSも完成され、画面からローマ字で住所・氏名入力し、カナに変換し、直接ディスクに入力しうるようになった。このADDRESSシステムは現在でも雑誌や論文の発送先印刷に利用されている。

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