機械計算室の歴史<2>(ホレリス式PCSの設置とその利用)

経営計算研究室を開設した昭和16年、我が国の大学では初めてPCS(パンチ・カード・システム)を設置し経営機械化研究に役立てると共に経営機械の運用及び利用技術(ソフトウェア)についての研究・開発を行い多くの業績を残してきた。
したがって、経営機械そのものの導入の歴史を振り返ってみることは、本研究所の経営機械化研究と経営機械ないし情報処理 機械の現状とを関連づけてみることでもあり、意義あることと思われる。

機械式卓上計算機、単能会計機等はかなり古い時代より使われているようであるが、機械計算処理をシステム的に行うことのできる機械は、PCS(統計会計機組織)が最初であるので、昭和16年(1941)経営計算研究室の創設と同時に導入されたPCSから書き初めることにする。この機械はIBM社より無償貸与されたもので、IBM011型電動穿孔機、IBM151型電動検孔機、IBM080型分類機および3M型統計機より構成されている。PCS時代末期の1セットといえば、うえの4種の機械の外、照合機、集団複写穿孔機、翻訳機(穿孔コードをカード上に印字する)、計算穿孔機が含まれるが、うえの4種の機械が統計会計機組織の基本となるものである。
したがって業務の機械化を一貫して行うには少くともこれらの機械が設備されていなければならない。

  • IBM011型電動穿孔機は、80欄カードに所定のデータを穿孔する機械で孔開けを電動の力で行うものである。当時の資料によると、3カ月位訓練した女性で1日5~6千枚は困難でなく、熟練すれば1万枚/日はできるようになると書かれている。
  • IBM151型電動検孔機は、穿孔が正しく行われているかを検査するもので、データの正確性を期するために欠くことのできない機械である。如何に革新的な機械でも屑を入れれば屑以上の何物もでてこないからである。
  • IBM080型分類機は、穿孔カードを指定した欄で分類する機械で1分間に400枚前後行うことができる性能を持ったものである。当時はカードの質(温・湿度変質性)も良くなかったので分類速度を規定まで上げることができなかったようである。
  • 3M型統計機は、カード上の指定する欄の計算および集計を行い、同時にその結果を印刷する機械で、欄の指定や計算の手順等を、コード(電線)の差替え、スイッチの切換えをもって機械に指令を与える方式が採られていた。

統計会計機械組織が国立大学に設置されたのは初めてのことであり、当時大阪毎日新聞にもそれを報じた記事が掲載されている。
また見学者も跡を絶たなかったようである。

設置されたPCS1セットは、(1)経営機械化の実証研究、(2)経営機械の利用技術の開発、(3)経営機械化担当要員養成等のために利用され、日本における経営機械化の発展のために大きな役割を果たしてきている。
これらの機械は昭和40年頃まで使われていたが、昭和51年12月25日IBM社に返還され現在同社内で展示・公開されている。

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