タイトル
既存技術と新規技術のジレンマ −ソニーのテレビ開発事例−

要旨

 本稿は、技術転換期の企業が既存事業から新規事業への早期の転換を行うのではなく、既存事業と新規事業を長期間内部で共存させるためのR&D組織のマネジメントについて論じたものである。新技術の開発には、しばしば既存技術との衝突が生じると言われ、多くの先行研究が新旧技術開発を組織的に分離することを提案している。このとき分離された新旧R&D組織はどちらも互いの技術資源にアプローチすることができないため、二重投資的な状態が発生することが考えられる。しかし、これまでの議論の中でそれが問題とならなかったのは、分離された組織が並存するのは過渡期の短期間であり、既存事業は早晩新規事業に取って代わられると考えられているためである。
 しかし、実際には既存事業はしばしば新規事業に駆逐されることなく大きな市場を保ち続けている。本稿で取り上げたテレビ事業では、1990年代の終わりごろから既存のブラウン管テレビから液晶やPDPなどのフラットパネル(FPD)テレビへの技術転換が生じた。今日では人々の関心やイノベーション研究者の研究対象は、主にFPDテレビとその技術開発に向けられているが、2007年の世界市場におけるテレビ製品出荷台数は、FPDテレビ5600万台に対して、ブラウン管テレビは1億5000万台が見込まれている。製品単価が異なるので単純な比較はできないが、依然としてブラウン管テレビは巨大な市場を形成し、その中では今もなお激しい競争が行われている。
 このように長期にわたって新旧事業が並存する場合、新旧R&D組織の組織的な独立性の維持と互いの技術資源を相互に活用するという矛盾した条件を両立させる必要がある。本稿で分析したソニーの事例では、新旧R&D組織の上流に共通の技術開発部門を配置し、この共通の部門が下流の新旧製品開発部門の利害を調整しながら双方に共通の新技術を提供していたことが分かった。上流の技術開発部門は彼らが開発する技術が下流の製品開発プロセスに適合するように技術開発と製品開発の統合作業を行っている。
 本稿で「新旧R&D間技術統合」と呼ぶこの統合プロセスにおいて、下流の技術やノウハウは上流の技術開発の中に取り込まれている。下流の複数の製品開発組織同士は互いにコンタクトを取っていなくても他の製品開発部門との統合プロセスを経た技術を採用することによってブラックボックス的に他部門が有している技術やノウハウを獲得することができるのである。「新旧R&D間技術統合」がもたらすインプリケーションは次の2つである。ひとつは、新規事業が既存事業の技術やノウハウを活用できるのと同時に、既存事業においても、共通の新規技術を既存技術体系の中に取り込むことが可能になっていることである。もうひとつは、技術転換を「変化」ではなく「多様化」と捉えることによって、既存事業と新規事業を対立的に捉えるのではなく、互いに切磋琢磨しながらビジネスチャンスを広げる効果が期待できる。

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